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2019年12月25日(水)
みなさまクリスマスイブはどのようにお過ごしでしたでしょうか。 昨日のライトワーカージャッパンはイエスさまからのメッセージでした。 「あなたがギフトBYイエス」https://lightworker-japan.net/archives/20193 さて、昨日はこれまでで一番多くの方が私のブログを訪れて下さいました。 うれしかったです。 ありがとうございます。 熱田津で額田姫王は中大兄の求愛を断り切れずに受け入れていったことを検てきました。 それが最も明確に表れているのが巻1-16番の歌だと思われます。 十六:冬ごもり春さり来れば鳴かざりし (額田王) 現代語訳 冬が過ぎて春になると いままで鳴かなかった鳥も来て鳴きます 咲かなかった花も咲きます でも山は茂りあっていて入って手にも取れないですよね 草も深く手折って見ることも出来ないですよね 一方 秋の山は木の葉を見るに付け 黄葉を手に取っては賞賛し まだ青いまま落ちてしまった葉を手に取って また地面に置いては歎いてしまいます そんな一喜一憂する 心ときめく秋山こそ 私は好きです 「万葉集入門」サイトの管理人黒路よしひろさんは、この歌が「天智天皇(中大兄皇子)が藤原鎌足(中臣鎌子)に勅し、春山の花の咲きほこる様と秋山の彩とを競わせたとき額田王(ぬかたのおほきみ)が答えて詠った歌です。」と解説しています。 ここにこの歌の解釈にとって重要なポイントが示されていると考えられるのです。 何故に中大兄はわざわざ人を介して「あなたは春と秋どちらが好きですか」などと額田姫王に尋ねなければならなかったのでしょうか。 しかも、それを訊きに来た使い人が藤原鎌足だというのです。 ??????? 藤原鎌足は中大兄の側近中の側近ですよね。 額田姫王をパワハラで奪ったあと、中大兄は藤原鎌足を使いに立てて「俺と大海人のどちらを選ぶか返事をしろ」と迫ったということになります。 どちらを選んでもいいよといって額田姫王の自由を尊重する訳がありません。 「もしノーと言ったら高市皇子の命はないよ」と藤原鎌足は遠回しに匂わしたのではないでしょうか。 額田姫王は高市皇子を護るためにも「ノー」とは言えなかったのではないでしょうか。 中大兄は聖徳太子・蘇我入鹿を暗殺しました。 蘇我入鹿を殺した後、皇極天皇(架空)が中大兄に皇位を譲ろうとすると、鎌足は「兄の古人皇子がいるのだから、いったん叔父を天皇に仕立て上げて様子を見た方が良い」とアドバイスをしたことが日本書紀に記載されています。 そして中大兄が皇位つく上で最大のライバルであった古人皇子に謀反の罪を着せて殺してしまうのです。 その後で自分の妃である遠智姫の父である蘇我倉山田石川麻呂に死を与えました。 遠智姫は心を病んでその年のうちに死んでしまいます。 これは中大兄が殺したも同然ではないでしょうか。 その後で、藤原鎌足の計略で皇位に就かせた孝徳天皇を、奥さんまで連れ出して、難波京に一人置き去りにして死に追い込んだのです。 これも中大兄が殺したと同然ですよね。 その後で皇位継承のライバルである有馬皇子に謀反の罪を着せて殺しました。 それが熱田津のこの歌のたった二年前のことなのです。 額田姫王にとってみれば、藤原鎌足の匂わせる脅しがいい加減なものだとは思えなかったでしょう。 高市皇子は一番多感な八歳のころに、母親である額田姫王が中大兄の女となってしまったと考えられます。 その心の葛藤は、父天武が額田姫王を奪われたものより更に大きかったと思われます。 父天武には鵜野讃良や大田皇女やその他の女性がいたからです。 しかし、天武天皇が飛鳥皇女を妻にし、高市皇子が飛鳥皇女を隠し妻にし、そして最後に飛鳥皇女に思いを馳せながら死んだのは、この時の体験が何らかの影響及ぼしているとしたら・・・・・・。 なんという運命のいたずらでしょうか。 人麻呂は和銅元年(708年)鴨島で最後を迎えるにあたって辞世の句を残していました。
巻2-223番 柿本人麿の歌
柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌一首
「鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあらむ」 巻2-223番 【飛鳥探真意訳】 これから鴨島の岩根を抱いて眠ろうとしている私を、吾が愛しい妹児(飛鳥皇女・明日香皇女)はまだ知らずに吉隠(吉隠)の猪養岡(いかひのおか)で、「岩根をし枕き抱いて」私を待っているのだろう。私は死んでようやく愛しい飛鳥皇女(明日香皇女)のもとへ行けるのだ。これからはいつまでも一緒にいられるようになるのだよ。 吾妹児・明日香よ、待ってておくれ
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最終更新日
2020.04.24 17:43:11
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