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カテゴリ:高校教師の巻
去年は生徒に一人一人何かしてあげたかったけれど、修能が終わってから来り来なかったり、そのうえ卒業式当日は日本にいたために挨拶もできずに卒業してしまった。
今年はそういうことがないようにいままで2年間学んできた感想などを紙に書かせてみた。ほとんどはきっと形式的なんだろう。 原語民に教わってよかったことがかかれていた。私も去年はみんなと親しくなろうとあらゆる努力をしたから、それも彼らが身に持って感じてくれたみたいだった。 私も小心者でまだまだ社会人として足りない部分だなと感じたのは、私情の辛さなどを子供たちの前で見せてしまうところだと感じた。 これといって直接は言いはしなかったけれど、今年初期にうるさくなった反日運動や夏頃そのために翻訳などをしていたころ、かなりつらいものがあって、知らず知らず授業でも韓国と日本を比較するようなことを言っていたみたいだ。 それと同時進行で、彼らが3年生になって国史の近代を勉強するようになった。それでいっそう私・・とうか日本語の授業に対する反抗心も増えたみたい。 それが何人かの感想の中にかかれていて納得すると同時にちょっと切なくなった。 反省もさることながら、やっぱりわかってくれる子はわかってくれるし、わかってくれない子はこういう風にしかものを見られないんだなって。 感想をよみながら子供たちに伝えたいこともたくさんあるけれど、返事は書こうとおもったけれど書かないことにした。 ただ今年の反省点は子供たちに近づこうとする努力を怠ったということだ。 子供たちの考え方や、コミュニケーションがあまりになかった気がする。親身でもなかったし。それだけ自分にいっぱいいっぱいの一年だったともいえるけれど。 でもなんとなく申し訳ない気がした。知らず知らずに当たっていたり、目線を合わせて話もできず、ろくな準備もしないで笑顔も作れない授業がかなりあったから。 今年の3年生の授業はぼーーーとしてすぎさってしまったからな。 来年それから当分この学校にいられるらしいのだが、最近かなり心がゆれている。 楽だし、子どもをあやす(?)ことは大変だけどそれなりに楽しいし。今の3年生が卒業したら学校の雰囲気ががらりとかわって、もうすこし授業をまともにきいてくれるようになるだろう。 ただ第2外国語の壁はきつい。ずっとこのまま何年経っても助動詞にもふれずに「あいうえお」から多くを学んでも「て形」で終わってしまう授業をずっとしなければならないのかな・・・。 私が行きたい学校が一つできるのだが、行けるかどうかもわからない。それにまた結婚ていう問題もある。新しい学校ができたら、そのタイミングで入らないと入るのが難しくなる。あと1年後にできりゃいいのにとも思ってみたり。 この学校でするのもいい。 でも、でもが頭をよぎる。 いまのまま他に行ってしまったらいまの2年生に申し訳ない気もする。 なぜならばいっつも教務室に遊びに来て冗談を言って慕ってくれるから。 来年も特技適性したいって言ってくれている。 家も新築の18ピョンくらいあるビラを提供してくれている。 給料も言うことがない。 結婚して、もし子どもができても余裕で続けられる。 と書きながらだんだん頭の中で整理がついてきた。 別に他にいかなくてもイイことはたくさんあるわけで。 まぁ何とかなるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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