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カテゴリ:神話・伝説・哲学
広島への出張に向かう新幹線の車中です。
今回は東海道新幹線車内でのネット接続、スムーズに行きましたが、何故かうまくいかないことも多く、原因がはっきりしないので困ります。 さて、私は前世記憶の一つとして、地球的な災害に関するものを持っています。 おそらくは、いわゆるノアの洪水についてのものだと思うのですが、当時行った、古代に人間を創造した神々が作ったとされる人格を持った超文明的機械との対話、そして、地球の創造時から存在しているという天使たちとの対話から考察すると、原因は太陽系外?(この辺は微妙ですが)からちん入してきた天体によるもので、地球の自転軸がずれ、言ってみれば回転する方向がころっと変わったことによるものだったと思われます。 地球が完全な固体であれば、当然気候変動はあったでしょうが、それほどもの凄いことにはならなかったのかも知れません。 しかし、ご存じの通り、地表には流体である海があります。 ころっと回転方向が変わったら、当然相応の衝撃を生じ、気体である大気にも衝撃波が走りますが、流体である海水は、慣性の法則により、大津波どころではない状態になるのが物理的に当然の帰結です。 固体と思われがちな地球の内部も、実はマントル対流がある流体であり、生卵の中身のように、回転が変わったことの衝撃を吸収する方向に働く反面、マグマの動きが活性化し、各地で火山の噴火による大火砕流も引き起こしたのです。 ですから、私の記憶によると、天を覆うばかりの津波と火砕流、双方が迫ってきたのです。 その高さ、最高1キロまでは行かなかったでしょうが、800メートルぐらいはあったと思います。 ですから、地表全体を見ると、200メートルぐらいの高さの津波が襲ったことになったわけです。 変な話ですが、那須の我が家の標高が約200メートルぐらいなのです。 東京ではなく那須に家を建てた理由の一つとして、「歴史上最大の津波が来ても、ここなら大丈夫だろう。」と半ば無意識の内に話した記憶がありますから、前世記憶から来た言葉なのでしょう。 大異変後、世界の人口は、異変前の5%ぐらいに減ったように思いましたが、当時、生き残った各国首脳間で話し合った結果の一つに、今回の大異変の記録を残そうというものがありました。 世界各国に伝わっている神話の大洪水は、その賜物だったのかも知れません。 でも、天使たちは冷ややかでした。 「そんなことしても無駄よ。同じような大異変が起きたら、やっぱり9割方死ぬわ。」 「では、どうすればよいと思いますか。」 私が質問すると、彼女(女性の天使でした。)は、こう答えました。 「生き残るかどうかはむしろ運だから、9割死んでも絶滅しない数まで、人間の数を増やしなさい。」 確かにそうだと、うなずかざるを得ませんでした。 しかし、大異変前に既に失われていた太古の文明を創造した者は超越的だったのです。 いち早く被害予測を出した、空飛ぶ戦艦ヴィマーナ・ウシャスの人工知能も超越的だったのですが、それ以上に凄かったのは、地球上に大異変の影響を受けない場所が築かれていたことでした。 何と表現して良いのかわからないのですが、大抵は太古の文明の神殿のある場所で、世界各地に点々と、その一角だけ被害を受けずに残った場所があったのです。 5%の人間が生き残れたのは、その場所のおかげでもあったのです。 でも、その超越的文明の創造主たちが何故滅亡したのか、これも皮肉なものだったそうです。 その一つに、エイリアン(とは言っても、人間に近く、人間との間に子供もできた。)ジョーカ族の気象制御兼エナジー抽出兵器がありました。 彼らの母星がどこにあったのかはわかりませんが、一部が地球に移住してきた後、母星は気象制御に失敗して滅亡したのです。 そのいきさつを知っていた天使に理由を聞いたら、彼女、つまらなさそうに答えてくれました。 「疑ったからよ。ジョーカの気象制御は完璧だったの。でも、その制御を行ったのは、彼らの集合的な意思だった。あるとき彼らの一部が考えたの。「完璧と思っている制御だが、失敗することがあるのではないか。」一部の者が考えている内は何てこともなかったんだけど、疑った人たちが母星から脱出すると、不安が広がり、疑いが過半数を超えたとき、ジョーカ母星は爆発して消滅したのよ。」 この答えには唖然としましたが、天使が言ったことですから、恐らくは事実なのでしょう。 現代の大異変である今回の大震災、確かに未曾有の災害ですが、これですら1,100年に一度は起きているわけで、そのことによって人類に不安が広がると、決して良い結果にはならないでしょう。 原発にしても、高々マイクロシーベルトのレベルの放射線に不安をあおることなく、9ヶ月以上かかっても、無事終息するんだと、希望を持って臨むことです。 また、被災した人々には確かにお気の毒ですが、幸い無事だった地域の人々が、自分たちの仕事を一生懸命して、日本全体の産業を盛立てていかねば、復興につながらないのです。 他の地域の人々が、自分の生活切り詰めて、無理して支援しても、産業全体が低調になって、下手すると共倒れになりかねません。 阪神大震災時の大阪人の考え方、「おとなりがえらいことになってるけど、大阪は陽気に騒いで、笑って、儲けて、その分物も買って、税金も払えば、神戸も元気になるんやないか。」を全国的に推奨しましょう。 備えをするなとは言いません。 しかし、過剰な備え、自粛、取り越し苦労は、よい結果は生まないものです。 元気な人は更に元気よく、そうしなくては、全体が元気にはなりません。 被災地に、被災者に対する援助は、私が避難者を受け入れたり、被災地から猫を受け入れたりしているように、その余裕がある人が、余裕の範囲で行うべきものだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 23, 2011 07:58:29 AM
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