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身体・感覚とアート

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2005年02月17日
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カテゴリ:身体・感覚
毎日を過ごしていると、楽しいこともたくさんあるのですが、さまざまな課題、やっかいごとにぶつかることがままあります。

やっかいなことが解決していつもすっきりさわやかであるといいのですが、なかなかそうもいかないのが現実だったりします(苦笑)。

私はたまに「なぜこんなことが起きるの??」と理不尽さを感じる体験がありますが、これはきっと大なり小なり、いろんな人が感じることですよね?

しかも、そういうときに限ってそのすっきりしない状況を受け入れなければならないことが多かったりします。

そんなとき、遊びごころを与えてくれるのが「道教」の考え方だなと最近気づきました。

(道教はとても深い思想なので、ここで紹介しているのは道教の思想のほんの一部です。了承して読みすすめていただけますよう、お願いいたします。)

『昔、釈迦牟尼(しゃかむに)、孔子、老子が人生の象徴酢瓶(すがめ)の前に立って、おのおの指をつけてそれを味わった。実際的な孔子はそれが酸い(すい)と知り、仏陀はそれを苦いと呼び、老子はそれを甘いと言った。』

老子が道教です。(ちなみに釈迦は仏教、孔子は儒教)。これは中国の昔のたとえ話にでてくる話しです。(「三人の酢を味わう者」)
酸っぱいものは誰が味わっても酸っぱいですが(笑)、それを甘いというには物事を転換してみる力や、喜劇的にみる力が必要です。

例えば、道で転んで「運が悪い」」というか、「かすり傷でよかった、運がいい」と思うか。運がいいと考えるのが転換する力ですよね。

転んだ自分の姿をまるで他人事のように想像して笑ってしまう、そして、人間そんなこともあるなと自分をやさしくみる、これも楽しさに変えてしまう力です。

やり方は違いますが、どちらも客観的には悪い出来事を読み替えています。

だから、歴史家から道教は「処世術(世間で生活していく手段)」とよんできたのです。

現代には処世術を論じた本がたくさんありますが、はるか昔からそれを提供してきたのが道教の思想だったんですね。

自分のあたまの中で、客観的には悪い出来事を、転換して考え「あ、これは道教的だ」と思い起こすとき、何百年も昔からある歴史と自分がつながります。

そうすると、自分という人間の感覚が、何百年も前まで広がります。

長く生きても数十年の人間の寿命ですが、想像の中では、さまざまな時代の人と語りあうことができます。

引用した話の中に違う考え方の「仏教」「儒教」がありました。

「道教」「仏教」「儒教」という三つの見方が違うことを示した文章でした。

同じ物事を違う角度から眺めたいときに、この三つの見方を思い起こす使い方もできます。

他に、この三つの考え方は、現代でいえば、どの人の考え方に近いのか、と考えるのもおもしろいと思います。

単に宗教、思想と考えるのではなく「それを客観的に押さえたうえで、自分がうまく活用する」ことが日常に深みのある楽しさを与えてくれます。

禅的なことについて書く前に長くなってしまいました(笑)。また茶の本3、といって次に書きたいとおもいます、


なお、「茶の本」自体については前の日記に書いてあるので、本自体を簡単に知りたいと思った方は、前の日記を参考にしていただければ幸いです。







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最終更新日  2005年02月17日 06時27分07秒
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