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カテゴリ:M氏の像 浅草橋個展へむけて
腹の底から歯噛みするような思いを何度もしたひとは、やさしさと厳しさをよく知っている。
生きているあいだに、自分の力の及ばないことに何度も悔しい思いをする。 そこには自分に対する可能性が残されている。 M氏に抑留体験を聞いていると、肉体的にも精神的にもぎりぎりの場面が何度も語られる。 目の前で、たとえ手を差し伸べても救うことができず、人が死んでいく。 差し伸べたくても、自分が殺されるから、見殺しにするしかない。 何度となくそんな体験をすれば、人の心は荒れていく。 しかし、それでも力の及ぶ範囲の中で、互いの温かさに触れ合えるとき、M氏は「人を救うことで自分が救われた」という。 飢えの中で小さな野バラの実を二人で分け合って味わう。 ちょっとした冗談で相手の顔に笑顔が浮かぶ。 そういったものが「生きるエネルギーを与えてくれた」という。 自分の小さな力を信じる。それが人の心を支える。 そういった小さな喜びの力を信じるか信じないか。 それを選ぶのは自分自身だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月24日 15時03分35秒
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