12054470 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

見えない一歩を信じる New! かめおか ゆみこさん

Comments

X youhei00002 フォローしてください@ Re:「子育ての目的は子どもの自立を支えること」(競争に勝つことではない)(06/05) X youhei00002 フォローしてください

Freepage List

Profile

森の声

森の声

2011.01.19
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日、冒険クラブの子どもたちが子どもたちだけで基地作りをして、大人は入らせなかった、ということを書きました。

じゃあ、ただ単純に、子どもをいっぱい集めて、自由にさせていたら子どもたちは自然発生的にそのような遊びを始めるのかというと、話しはそう簡単なものではありません。

先日、学童の指導員の人達に呼ばれて勉強会をやってきたのですが、最後の質問の時間に「子どもたちに基地作りをさせたいと思って、そのような企画を立てたのですが、うまく行きませんでした」とおっしゃる方がいました。

話を聞くと、一人熱心な子がいて設計図まで描いてきたので、その子を中心に基地作りをしようとしたそうです。その時、なるべく大人は関わらないようにして基本的に子どもが中心に活動するように配慮したそうです。でも、全体がまとまらず、結局基地は完成しなかったそうです。

一般的に今の子どもたちは群れて遊ぶことが苦手です。それは「みんなで遊ぶ楽しさ」を知らないからです。そのため、いつでも自分中心に行動しようとします。そして、他の子にも「自分に合わせること」を要求します。

学校での授業が成り立ちにくいのもそのことが関係しています。先生が子ども一人一人に合わせてあげれば子どもはちゃんと聞くのですが、普通の授業では子どもが先生に合わせなければなりません。それが出来ないのです。

そして、先生が自分に合わせてくれない時には、すぐに「無視された」「えこひいきしている」などと感じてしまいます。
就職しても思い通りにならないとすぐに辞めてしまうのもそのせいです。

でも、現代人はそのことに問題を感じてはいません。無理してまで、嫌な相手、嫌な職場に合わせる必要などないと考えている人がいっぱいいます。でも、それでは学習も就職も子育ても出来ないのです。

じゃあ、幼稚園の時から一斉保育をしていれば大丈夫かというと、そんなことはありません。一斉保育の幼稚園では子どもたちは先生の指示や命令に従って行動します。でも、「受動的に指示や命令に従う」ということと、「能動的に相手に合わせる」ということは同じではないからです。

幼稚園では先生の言っていることを聞いて、その指示に従っていればOKです。でも、学校の授業では先生の「言っていること」ではなく、「言いたいこと」に意識を向けている必要があります。そうでないと先生の「説明」が理解できないからです。そこには「能動性」が必要なのです。

ところが、今の子どもたちはその「能動性」が育っていないため、「指示」は理解できても、「説明」を理解することが非常に苦手なのです。造形活動の場でも、何回説明しても子どもたちがなかなか理解できません。そしてすぐに「指示」を求めます。

だからといって、自由保育なら大丈夫かというと、そういうことでもありません。ただ子どもを自由にしているだけの自由保育では、そのつながりは「相性」や「力関係」だけで決まってしまうので、「能動的に相手の気持ちに合わせる」という必要性が生まれないからです。

子どもにとっては、能動的に相手の気持ちに合わせる必要性は、色々な気質の子が目的を一つにして行動するような遊びの場でしか発生しないのです。そして、それこそが「群れ遊び」なんです。

(そのような群れ遊びの場では、子どもたちは「特定の相手の気持ち」ではなく、「みんなの気持ち」に合わせます。)

おもちゃでも、ゲームでも、テレビでも、パーソナル化された遊びでは相手に合わせる必要はありません。むしろ相手が合わせてくれます。また一般的に、親は子どもに指示を出すだけですから子どもが親に合わせる必要性はありません。子どもはお母さんの言われた通りに動いている限り叱られないのです。

そのような、パーソナル化された遊びに慣れてしまっている子は、相手の気持ちに合わせて群れて遊ぶことが出来ません。だから、「みんなで遊ぶ楽しさ」を体験することが出来ません。だから、群れて遊ぼうとはしません。だから、いつまで経っても、「みんなで遊ぶ楽しさ」ではなく、「パーソナルな遊びの楽しさ」しか知らないまま大人になっていきます。

でも、「パーソナルな遊びの楽しさ」しか知らない人は、子育てにおける「子どもと一緒の生活」を楽しむことが出来ません。そして、子どもの心に合わせることが出来ずに、子どもに「一人で遊ぶおもちゃ」を与え、指示命令だけで子どもをコントロールしようとします。

そして、歴史は繰り返していきます。でも、今ではそのような繰り返しになんの問題も感じていない人がいっぱいいます。

確かに、個人レベルではそのような子育てをしていても、子どもがパーソナルな遊びしかできなくても大した問題ではありません。

でも、そのような子育てをしている人、パーソナルな遊びしかできない子が社会の中でどんどん増えていってしまったら、これは非常に困ったことになってしまいます。

家族が崩壊し、地域が崩壊し、教育が崩壊し、モラルが崩壊し、政治が崩壊し、未来が崩壊してしまうからです。そして、今この流れは明らかなものになり始めています。

それでも、「自分さえよければよい」と考えている人達は、「そんなこと自分には何にも関係ない」とか、「勝ち組になればいいんだ」と気楽に考えています。でも、みんなが一緒に乗っているような船の中で自分だけ勝ち組になっても、その船が沈んでしまうような場合には何の意味もないのです。


この流れと繰り返しを止めるためには、大人がまず「群れて遊ぶ楽しさ」を体験していく必要があるのです。

それは「意識のパーソナル化へのレジスタンス」です。生活や道具はパーソナル化しても意識はパーソナル化してはいけないのです。

子どもはそのような大人の姿を見て、「群れて遊ぶ」事に対する興味を持ち始めるのです。冒険クラブの子どもたちはそのような「大人達の群れ遊び」をいつも見ているのです。だから、子どもたちだけでも群れて遊ぶことが出来るのです。

「冒険クラブ」はまず大人が群れて遊ぶ会なのです。

*****************************************

今朝の朝日新聞を読んでいたら、最近、風邪でもないのにマスクで顔を隠す子どもが増えてきているという記事が出ていました。顔を見られないと安心するそうです。

友人同士でも顔を見せないのです。記事に書いてあった子はお互いの顔を見るのはカラオケに行った時だけだそうです。

これはまだ一部の現象のようですが、広がっていくかも知れません。
匿名化は「顔」にまで及んできているようです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.01.19 08:45:16
コメント(6) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.