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私自身は「心やからだが固まっているな」と感じた時は、野口体操の「ゆすり」をやるか、一時間程度、早足で歩きます。
歩く時は平地ではなく野山が最適です。平地を歩く時は単調な繰り返しのため、からだの動きがパターン化してしまい、「動くところ」と「動かない所」が決まってしまいます。その結果、動かない所が固まってしまうからです。 その点、野山を歩いていると山坂やデコボコがあるため、動きがパターン化せず、からだ全体を使うことになります。また、意識や感覚も使います。だからゆるむのです。 野口体操の「ゆすり」の方は、ブログではお伝えすることが出来ません。「方法」ではないからです。 野口整体の「活元」も非常に効果的ですが、これもまたブログでは説明できません。誰かから直接学ばないことには学びようがないのです。 「唯仏与仏」です。 ちなみに野口体操と野口整体は全く別のものです。野口体操は野口三千三の考案で、野口整体は野口晴哉(はるちか)の考案によるものです。 また、からだを緩める時には「心のこだわり」を捨てる必要があります。考え事をしていたり、「ゆるめてやろう」などと考えてはいけないのです。「ゆるめてやろう」と強制的な意識を持つとそれだけで固くなってしまうのです。 そして、ひたすら「気持ちいい」という感覚に浸ります。それはまた「たのしい」という感覚と同じです。 以前、少しだけですが故・渡辺栄三先生に「操体法」を学んだことがあります。(心やからだの世界では「誰から学んだ」ということが重要な意味を持っています。だから私は「先生」はしっかりと選びます。) (連続講座を申し込んだら参加者が私しかいなかったのです。それでも中止せず、マンツーマンで教えて頂きました。渡辺先生には申し訳なかったのですが、私にとっては非常にラッキーでした。) その時、私がベッドに寝て、渡辺先生が私の足を持ってゆすりながら、「石をイメージしてみて」とか「水をイメージしてみて」というのです。 すると、「石」をイメージしただけでからだが固くなり、「水」をイメージしただけでからだが緩むのです。 それだけイメージや意識という人間の心が、からだの状態と密接につながっているということです。 この時、もっと緩めるためには、ゆれている自分のからだを楽しんだり、「気持ちいい」という感覚に浸ることです。 ちなみに「操体法」は便利ですよ。からだの調子が狂っている時、痛みがある時など、操体法的にからだを動かすと大分楽になります。15年ぐらい前にぎっくり腰をやった時など、操体法にものすごくお世話になりました。 この操体法の基本も「気持ちがいい」ということです。そして、この「気持ちがいい」という感覚はブログでは伝えることが出来ません。 日本人は「気持ちがいい」とか、「楽しい」という感覚を押さえこんでしまっているため、心もからだも固まってしまっているのかもしれません。 でも、「気持ちがいい」とか「楽しい」ということを押さえこんで生きている人に、その感覚を伝えることは出来ません。 自分で気づくしかないのです。ただ私は、「そういう世界があるよ」ということを伝えるだけです。 と、ブログで「ブログでは伝えることが出来ないこと」ばかり書いていてもしょうがないので、ブログでも書くことが出来ることを書いてみます。 「ゴロゴロ」 蒲団の上でゴロゴロ転がるだけです。この時、上半身は力を抜いたままで、下半身だけで転がっていきます。下半身が最初に動き、上半身はそれに引っ張られて動くということです。 ゴロゴロしているだけで、からだは緩みます。 「ハイハイ歩き」 赤ちゃんのようにハイハイで歩くだけでも、からだは緩みます。 「波を見る・風の音を聞く・雲を見る」 無心になって動いているもの、変化するものに心を向けていると、心もからだも緩んできます。メロディーが素敵な音楽を聞いているだけでもOKです。 その動いているものと共鳴して踊ってみるともっといいですが、それは難しいかもしれません。フラダンスなどもいいと思います。 「粘土や水彩絵の具や布など、柔らかいもので遊ぶ」 柔らかいものを見たり、聞いたり、触れたりしていると、こちらも柔らかくなるのです。 などなどですが、「私はこうしている」という「私の方法」をお持ちの方はご紹介ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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