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森の声

2013.12.21
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28日から昨日まで行っていた多治見では、「熱烈大歓迎」的な状態で、充実した三日間を過ごすことが出来ました。

非常の多くの「森のわらべ 多治見園」のお母さん達が会を支え、寝る間も惜しんで活動して下さっていました。また、講演会にも非常に多くの方が参加して下さいました。

それと、初体験で面白かったのが、宿泊は「神言修道院」という修道院の「瞑想の家」で、講演会が「清昌寺」というお寺さんの本堂だったことです。

キリスト教と仏教の両方に同時にお世話になったわけです。これもまた何らかのメッセージ的な出来事なのかも知れません。

また、会場をお貸し下さった「清昌寺」のご住職と奥様にも大変世話になりました。

この場を借りて、「森のわらべ 多治見園」のお母さん達へ、そして「清昌寺」のご住職と奥様へ感謝を述べさせて頂きます。

ありがとうございました。


宿泊した「神言修道院」です。

taji1


講演した「清昌寺」の本堂です。満員でした。

taji2

ということで17日からの続きです。

17日のブログでは

森の中に行って、「遊具がない」、「ボールがない」と嘆くのではなく、「葉っぱがある」「気持ちがいい自然がある」「色々な生き物がいる」、「木がある」というように「あるもの探し」をするのです。

「森の中の遊び」はそこから始まるのです。



と書きましたが、これだけではどうやって遊んだらいいのかが分かりませんよね。

ここで更に「あるもの探し」をするのです。

葉っぱには「色々な色」「色々な形」「色々な種類」があります。

森には「木登りする木」、「隠れることが出来る木」、「剣や杖などになるような枝」、「基地を作ることが出来るような場所や枝」、「落ち葉」、「生き物たち」などなど、数え切れないほどの「あるもの」があります。

そのようなものたちとどのように関わることが出来、そのようなものとどのように遊ぶことが出来るのかと考えればいいのです。

「森で遊ぶ」「自然の中で遊ぶ」ということは、それらを単なる「遊びの会場」として使うということではなく、「森と遊ぶ」「自然と遊ぶ」ということなのです。

そして、「おもちゃ」や「遊具」は共有出来ませんが「森」や「自然」は仲間と共有出来るのです。

「森」や「自然の豊かな場所」を単なる「遊びの会場」と考えてしまうから、「何にもない」ということになってしまうのです。


子ども達は拾うことが大好きですから、「綺麗な葉っぱ」や「木の実」などを拾い集めるのも遊びです。

また、並べるのも大好きですから、それらを並べて遊ぶことも出来ます。

糸を通して「首飾り」を作ったり、紙に貼って「造形作品」にすることも出来ます。

子どもは「貼る」のも好きですから。

「隠れんぼ」も出来ます。広々とした公園では「隠れんぼ」は出来ません。

穴を掘ったり、ドロンコ遊びをしたりもできます。

以下に、そんな様子の写真を少し貼っておきます。
このような情景を「いつも見ている」という方も多いかも知れませんが、あまり見たことがない人もいるかも知れません。

このような状態の時の子ども達は本当に素敵な顔をしていますよ。

でも、室内で遊んでばかりいたり、機械やおもちゃ相手にばかり遊んでいると、こういう遊びが楽しくなくなってしまうのです。

人間は「自然」の中にいると感覚が開かれ、「人工」の中にいると感覚が閉ざされてしまうからです。



がけ登りです。

soto1

森の中ではなんでも「おもちゃ」です。

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「森の贈り物」という作品です。

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ドロンコ遊び

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落ち葉で遊ぶ

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ススキの原で遊ぶ

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落ちていた枝で「基地作り」

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Last updated  2013.12.21 09:18:03
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