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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2015.04.22
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カテゴリ:カテゴリ未分類
日本の学校の授業は「教える」という方法だけで成り立っています。

子どもに感じさせたり、考えさせたりすることはありません。先生が「知識」を教え、子どもはそれを覚えるだけです。

また、学校で教えていることには全て「正解」があります。

本来は「正解」などないものにまで、勝手に「正解」を決めて子ども達に教えています。そして、実際の世界では「それもまた正しい」ということでも、学校が教えている「正解」と異なっていれば、その答えは「間違い」として否定されます。

ですから、どんなに自分の頭で一生懸命に考えたことでも、正解と合っていなければ簡単に否定されます。

そうしないと「テスト」も、「評価」も、「競争させること」も出来ないからです。


どうしてそうなってしまっているのかというと、現在の日本の教育システムは、もともと「人間としての子ども」を育てるためではなく、「優秀な労働者(兵士)」を育てるために考え出されたシステムだからです。

確かに、算数(数学)や理科(物理)などの授業では「考えること」を求められますが、その場合の「考える」は、単に「演算」に過ぎません。

それはコンピュータがやっているのと同じ作業です。

ですから、予め「正解」は決まっています。

ただ、このような状態は日本だけではありません。シュタイナー教育のようないくつかの例外はありますが、もともと、「学校」というシステム自体が「優秀な労働者(兵士)」を効率的に育てる目的で作られたものだからです。


それでも、社会がこれほど高度に機械化されるまでは、人々は家族や地域のつながりの中で生きていました。

「人間らしいつながり」も、「人間らしい生活」も、「人間らしい遊び」もありました。

そして、子ども達はその「人間らしいつながり」や、「人間らしい生活」や、「人間らしい遊び」を通して、「感じる」ことや「考えること」を学んでいました。

それはまた、「不便なつながり」であり、「不便な生活」であり、「不便な遊び」であったのですが、不便であったからこそ、「自分の感覚」で感じ、「自分の頭」で考える必要があったのです。

そうしないと、ご飯を美味しく炊くことすら出来なかったのです。

それはまた「正解のない世界」でもありました。

その「人間らしいつながり」や、「人間らしい生活」や、「人間らしい遊び」や、「人間らしい生き方」には「正解」などありません。



ですから、昔は、学校では「正解」ばかりを教えていても、子ども達は生活や遊びの場で「正解のない世界」での生き方を学ぶことが出来ていたのです。

いまでも、発展途上国はそのような状態です。

学校では正解や知識ばかりを学んでいても、家に帰れば、何時間もかけて水くみに行かなければならない子もいっぱいいるのです。

でも日本では、「便利な機械」や、コンビニのような「便利なお店」などの出現により、その「不便なつながり」や、「不便な生活」や、「不便な遊び」は消えてしまいました。

そして、「感じる必要」も「考える必要」も消えました。

現代人の生活に必要なのは「お金」と「知識」だけです。


それでも人々は、まだまだあらゆることにおいて更なる「簡単・便利・豊かさ」を求めています。

その「欲」には限りがありません。

そんな現代人にとって、「不便であること」や「貧しいこと」は、「競争に負けた結果」に過ぎなくなりました。

ですから、現代人は「不便なつながり」や、「不便な生活」や、「不便な遊び」に対しては、「負のイメージ」しか持つことが出来ません。


でも、そんなにも便利で豊かになった現代社会でも、一向に便利にも、簡単にもならない活動があります。

それが「子育て」です。

子育てや、子どもの育ちに必要なものは、基本的に古代の人達と同じなので、お金では買えないものばかりなのです。

むしろ、簡単便利になってしまった現代社会では手に入れにくいものばかりです。

また、マニュアル付きで、「簡単便利な子ども」など存在していません。

だから、簡単便利に慣れてしまった現代人ほど「子育て」が苦しくなってしまうのです。

それで、お金を出して簡単便利に子育てしようとする人もいるのですが、そのような子育てが通用するのは10才頃までです。

多くの場合、子どもが思春期を迎える頃にトラブルが発生します。
子どもが、「自立への不安」を感じるようになるからです。


釈迦や、ソクラテスや、プラトンは、「昔の教育」を受けて育ちました。

私たちは現代社会の「最新式の教育」を受けていますが、釈迦やソクラテスやプラトンよりも賢くなったのでしょうか。

私にはむしろ愚かになっているとしか思えないのですけど・・・。


私が、「自然との関わり」を子育ての大事な要素として考えているのは、「自然との関わり」の中には、お金では買うことが出来ない、太古から変わらない「子どもの育ちに必要なもの」が満たされているからなのです。

それが、現代社会の中で「子どもの育ちの中から失われてしまったもの」を補う働きをしてくれるのです。

昨日の写真のような体験を通して、子ども達が体験したこと、感じたこと、学んだことは、お金では買うことが出来ないのです。





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Last updated  2015.04.22 09:19:25
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