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コメントを見ていると、
マシュマロさんが以下のように書いてくださったように「なぜ、発達障害とか、アスペルガーとかいちいち診断して子どもを分けるのか」という意見が多いようなので、今日はこのことについて書いてみます。 でも、、、そのちょっとしんどい状態だけを切り取って、もし「自閉症」だの、「引きこもり」だの、「○○人格障害」などとまわりからレッテルを貼られたら、ますます心を閉ざす気がしますが、そんなことはないですか。 子供たちに診断をしている医師は、そして、その診断を受けて「うちの子は障害だから」と思っている親は、そういう背景は見えているのでしょうか。そういう背景が無い場合もあるかもしれないけど、あるかもしれない場合だって、あると思います。 これは「気質の学び」についても同じなんですが、相手の心やからだの状態を感じ取ってそれに合わせることが出来る人は、そんな学びや診断は不要です。 私もマシュマロさんと同じように、障害を持っていると診断を下されている子どもたちとも何の違和感もなく遊ぶことが出来ます。 学問的な形では「気質」のことなど何も知らなくても、無意識的に子どもの気質を感じ取り、その気質に合わせた関わり方をすることが出来る人もいます。 でも、世の中にはそういう人ばかりではありません。自分の価値観や気質だけを基準にして他の人の考え方や行動の是非を一方的に決めつけてしまう人もいっぱいいます。 また、多様性を肯定しない文化や、社会や、組織の中では、「偉い人」が決めた価値観だけが「是」とされ、どんな気質の人であってもその基準だけで、是非を決められてしまいます。 家庭の中でも、お母さんの価値観やお父さんの価値観だけが「是」とされ、他の家族はその価値観に従うばかりの生活をしていることもあります。 子育ての場では、特にそういうことが起きやすいです。 そのような状況の中で、一方的に否定されている状態の子を救うためには、 その子の状態にはこれこれこういう意味があって、ただ怠けているわけでも、反抗しているわけでも、バカなのでもなく、 それは「気質」、もしくは「障害」といった「その子の生まれ持った特質」であり、本人にもどうしようも出来ないことなんです。 それをよい状態に向けようとするのなら、まずその状態を肯定するところから始めるしかありません。否定から始めたら、ますます状態は悪化します。 「気質」や「障害」について学ぶことで、その状態と意味について学ぶことが出来のです。 ということを説明する必要があるのです。 そのようなことを知らないために子どものことを否定している人もいっぱいいます。 「それは憂鬱質という気質の特徴ですよ。別に障害ではないですよ」ということを伝えるだけで救われる人もいっぱいいます。 また、「それは障害によるものであってお母さんの育て方が悪かったからではありませんよ」という言葉で救われる人もいます。 さらに、子どもや弱者に対して訳の分からないことを押し付けてくるような困った人には、ちゃんとした論理や、証拠や、事実を突きつけるしかありません。 そのような人に対して感情的に反論しても、感情的に否定されて終わってしまいます。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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