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現代人は多くのストレスを抱えています。
その原因は子どもだったり、会社の上司だったり、夫だったり、奥さんだったり、ご近所だったり、家事だったり、騒音だったり、匂いだったりします。 というか、そういうものが原因だと思い込んでいます。 でも実は、それらはストレスのきっかけではあってもストレスの原因ではないのです。 結婚前は気にならなかったご主人の行動が、子どもが生まれると気になるようになることもあります。 何の音か分からなかった時にはその音が「ストレスの原因」だったのに、音の正体が分かったらストレスを感じなくなることもあります。 このように、ストレスの原因は変わらないのに、それがストレスにならないこともあれば、ストレスになることもあるのです。 また、ある人にはストレスを感じることでも、別の人はストレスを感じないこともあります。 どうしてそういうことが起きるのかというと、日常的なストレスは相手との関係性によって創り出されているからです。 つまり「相手」が原因なのではなく、「相手と自分との関係性」が原因なんです。 そのため、相手との関係性が異なる人は、同じ対象に接してもストレスを感じることもあれば、感じないこともあります。 よく知っている親しい子が大騒ぎをしていてもそれほどストレスを感じませんが、知らない子や嫌いな子が大騒ぎをしていたらストレスが溜まります。 子どもの声にストレスを感じた人は「うるさい静かにしろ」と子どもや親に対して怒鳴るかも知れません。 そんな時の対処法は二つあります。一つは子どもを静かにさせるか子どもをその場所から遠ざけることです。 ストレスの対象が消えれば一応ストレスも消えます。 もう一つの方法は、ちゃんと謝りに行って、その人と良い関係を築くようにすることです。相手との関係が良くなれば、同じ子どもの声に対しても相手がストレスを感じる程度が軽減される可能性があるからです。 実際、相手との関係性が変化すれば、それまではストレスを感じなかったことに対してストレスを感じるようになったり、それまでストレスを感じていたことにストレスを感じなくなったりすることがよくあるのです。 ご主人に対しても、恋人時代には触れてもらうと嬉しくて、心もからだも緩んだのに、子どもが生まれて子育てをしている最中に同じ事をされたら嫌悪感を感じることもあるのです。 「恋人」から「お父さん」へと2人の関係性が変わってしまったからです。 上の階のドシンドシンという音がストレスの原因だったのに、上の階の家族と仲良くなって、それが可愛い子どもが遊んでいる音だと分かっただけで、音を聞くことで子どもの楽しそうな姿が想像できて、同じ音なのに気にならなくなることもあります。 その人や、ものや、ことに対してストレスを感じるかどうかは、その相手との間に「肯定的な関係」があるのか「否定的な関係」があるのかで決まってしまうのです。 でも、文明はどんどん「人と人のつながり」、「心とからだのつながり」、「子どもと大人のつながり」、「人間と自然のつながり」、「見える世界と見えない世界のつながり」を破壊してきました。 だから現代人は昔の人よりもストレスを感じやすくなってしまっているのです。 昔は隣近所の家族構成までみんな知っていましたから、隣の家で子どもが騒いでいてもそれほど気にならなかったのですが、どんな人達が住んでいるのか全く知らない隣の家から騒ぎ声が聞こえたら不安も感じるし、ストレスも溜まりますよね。 (知られすぎているストレスもありましたけどね・・・) また、昔の人は「自然」と仲良くしていたので、「自然」を感じるようなことに対して喜びを感じたり、肯定的に受け入れていました。でも、現代人は、自然を否定したり拒否した生活をしているので、自然を感じるようなことに対しても否定的な反応をしてしまう人が増えてきました。 (自然に対してストレスは感じなくても恐れや畏れはありましたけどね。) 道に落ちた桜の花びらや、秋の落ち葉を「汚いゴミ」だと言う人もいます。 そういう理由で切られてしまった桜の木を知っています。 野の花が咲いて美しかった小川の土手が、ある日コンクリートで覆われていました。「雑草が生えるので困る」と近所の人が役所に文句を言ったからだそうです。 そのような人には、桜の花びらや、落ち葉や、野の草花さえもストレスの原因なんでしょう。 子どもが野の花を摘んでくるだけで「汚いものに触れてはいけません」などと反応する人もいます。 また、そのような状態の人はキャンプに行く時もなるべく自然に触れないでも済むように近代的な装備をいっぱい持って行きます。 以前、キャンプ場での苦情に「虫がいるからなんとかしろ」というものが多いということを読んで、呆れたこともあります。 ちなみに「美しい自然」だけを肯定するのは、人間の価値観の押しつけであって、「自然な自然」の否定ですからね。虫もいて、雑草もあって、バイ菌もいっぱいいて、雨も降っての「自然」です。 また、誰かが文句を言ってくると学校やお役所はその原因を取り除こうとします。 イジメがあると、ただ「イジメは悪だ」といじめている子を否定したり、時にはいじめている子を排除することでイジメを消そうとしています。 クラスのみんなが仲良くなるような工夫をすれば、イジメは消えるのですが、でも、学校やお役所はクレームがあると、そのクレームの対象の方を処理しようとするのです。 でも、そのような「排除」という対応は、長い目で見たら余計にストレスが多いクラスや、余計にストレスが多い社会を作ることになってしまうだけなんです。 病気もからだのストレスの現れですから、病気に対しても同じようなことが言えます。 目先の原因を消すだけのような対処療法は結局状態を悪化させるだけなんです。 「つながり」を取り戻せばストレスは減っていくのです。 *********************** 今日ご紹介するのは私がいつも「色水遊び」や「小麦粘土」作りに使っている色素です。 絵の具ではなく食紅です。 色水遊びをしていると、小さい子は色水を飲んだりしてしまいます。 小麦粘土を作っても、そのまま食べてしまうこともあります。 そんな時、普通のお絵描き用の絵の具だとちょっと心配が残りますが、食紅はケーキやお菓子などの色づけに使われているものなので、それほど心配する必要がありません。 (だからといって大量に摂取しないようにしないようにして下さい。あくまでも「ちょっと」という範囲内での話です。) 最後に、食紅を使った色水と小麦粘土の写真を載せておきます。普通の絵の具にはない透明感があって、しかも混色が綺麗なのでお勧めですよ。ちなみに、色水を入れている袋は傘袋です。 ちなみにお近くのスーパーの製菓材料売り場にも食紅は置いてあります。ただし、「青」を置いていないところは多いです。茅ヶ崎のマルエツ、イオンにはあります。東急ハンズにもあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
「ストレスはつながりの喪失によって生まれる」まさにその通りだと思います。私たちの幼稚園(私は年長の娘の親です)では、仲がよい者同士しか、なかなか目を合わせず、挨拶をしません。(私は誰にでも挨拶をするタイプなのですが・・・入園当初、私は皆に挨拶をしようとはりきっていたのですが、諦めてしまいました。)子供たちも場合によっては、親同士が仲良くないと、あまりおしゃべりもしないように感じます。気のせいなのかなぁ〜とずっと思ってきましたが、幼稚園の役員や行事の委員などもあまりうまく回っていない感じがする時があります。幸いにも、クラスの先生がとても素晴らしい先生で、アウェーな状態(知り合いが殆どいない)でも、なんとか平常心で居られますが、地元の小学校に一緒に上がる子も多いので心配しています。娘もアウェーな状態から、頑張って、本人曰く「楽しい」幼稚園生活を送っているようです。男の子・女の子分け隔てなく接し、年上年下に関係なく、幼稚園の友達以外にも遊べる娘を逞しくも感じますが、幼稚園の中でなかなかできてしまったグループに入ったりするのは(入る必要もないのかもしれませんが)難しいように感じています。
「ストレスはつながりの喪失によって生まれる(つながりがないことにことによって生まれる)」だと思っています。挨拶だけでも、親同士の「つながり」の形成につながっていくのではないかと思いますが、諦めてしまったのは初めてです。 (2017.06.13 10:40:06)
私、全然ダメです。近所がしんどいです。現代人って感じです。
私の場合は、家の前の新興住宅の井戸端会議が辛いんですよね。 袋小路の狭い道にお母さんたちと子どもたち10人くらいが毎日賑やかです。 うちは、上の息子は今はもう毎日公園やらにいますが、下の子がふらふら行くこともあり、その中に入ってみたりもしました。でも子どもは放置で、たまに袋小路からちょっとでも子が出ると、ここから出るなって言ったやろ!ってすごい怒って、、スーパーや洗剤がどうこうってお話、、あとは人の噂話が多くて疲れました。狭い道でキックボードや自転車を乗り回してちょっと怖いし、お話をしながら幼稚園くらいの子に、下の子をちゃんと見てって言ったやろ!と怒鳴るお母さん。私、笑ってるのに顔が引きつる感じになってしまって。これなら子どもと遊びたいな、、と思って公園に行くようにして基本関わることもしなくなりました。 公園に行くときに、挨拶くらいはって思うけどお話中で目も合いません。 ただの愚痴みたいになりましたが、、 つながるって難しいです。 そういう意味では今は公園で、上の子や上の子の友達が遊んでるのをたまに眺めながら下の子とふらふらしてるのが私は好きなのかも、、 他のお母さんと話すのが嫌いなわけではないんだけどなぁ、、楽しくワイワイできるお母さんもいるんだけど、、 井戸端会議はどうも苦手だ。 毎日っていうのが自分の中でしんどいのかなぁ、、 (2017.06.13 13:33:34)
あおあおさん
>私、全然ダメです。近所がしんどいです。現代人って感じです。 いや、内容を読んだらあおあおさんは正常です。 このお母さん達がつながっていないのです。 おしゃべりをしているからといって「つながっている」ということではありません。 つながりのない集団はほよよん星人さんのお話に出てくるように排他的です。 排他的な状態を作ることで仲間の結束を保っているのです。これはいじめっ子集団でも同じです。 本当につながっている人達は信頼関係でつながっています。だから、グループ外の人も好意的に受け入れるのです。 (2017.06.13 13:43:54)
ほょょん星人さん
>「ストレスはつながりの喪失によって生まれる(つながりがないことにことによって生まれる)」だと思っています。挨拶だけでも、親同士の「つながり」の形成につながっていくのではないかと思いますが、諦めてしまったのは初めてです。 ----- 今、中高生ぐらいの子どもたちに「友達何人」と聞くと平気で100人とかすごい人数を言います。 みんなLineやネットでつながっているだけなんですが、それが友達だと思い込んでいるのです。 「人と人がつながる」ということが分からなくなってしまっているのでしょうね。 (2017.06.13 13:47:19)
>つながりのない集団はほよよん星人さんのお話に出てくるように排他的です。
>排他的な状態を作ることで仲間の結束を保っているのです。これはいじめっ子集団でも同じです。 >本当につながっている人達は信頼関係でつながっています。だから、グループ外の人も好意的に受け入れるのです。 そうですね。その通りだと思います(納得)!信頼関係で繋がっている集団では、お母さんたちの話もとてもあたたかくて、人の繋がりがどんどん増えていきます。ストレスフルな話は一切ありません。私もストレスがあるくらいなら、そこから距離を置き、あおあおさんのように、子どもと遊んでいたいなぁ〜と思います。 (2017.06.13 14:45:30)
今日も公園に行ってきました。今日は知り合いのお母さんがちょこちょこいましたが、知り合いのお母さん同士は知り合いではなくて。(なんか日本語が、、難しい)
今日のブログを読んだからこそ、私も色んな人を紹介できました。 みんな小さい子を追いかけてるのであまり話はしなかったけど、近づくと話す感じが良かったです。 ああ、もしかしてあの大きいお兄ちゃんのお母さん? そうです、そうです! みたいな。 こうなると、次に会ったら少しでも話せるな、って。 私もこうやって助けてもらったな、って。 こんなつながりは、できそうです。 今日は朝に次男と公園に行ったら、ゴミがちょこちょこあって、、 そこで拾えたら良かったけど、袋がなくて。 なので夕方に次男と袋を持って、上の子や上の子の友達とゴミ拾いしよ!と出かけましたが、できなかったので、また明日そんな『つながり』も見つけてきます。 他の人といると、次男がゴミを持ってきても『置いときな、』みたいになった自分がなんか嫌でした。 拾えばきっと、すっきりすると思うから (2017.06.13 18:04:00)
あおあおさん
> > >他の人といると、次男がゴミを持ってきても『置いときな、』みたいになった自分がなんか嫌でした。 >拾えばきっと、すっきりすると思うから ----- こういう生き方をしているとどんどんストレスは減っていきますよ。 「なんでゴミを捨てるやつがいるんだ」と言うばかりで自分は何もしなければどんどんストレスは溜まっていくばかりです (2017.06.13 18:28:56)
ほょょん星人さん
>そうですね。その通りだと思います(納得)!信頼関係で繋がっている集団では、お母さんたちの話もとてもあたたかくて、人の繋がりがどんどん増えていきます。ストレスフルな話は一切ありません。私もストレスがあるくらいなら、そこから距離を置き、あおあおさんのように、子どもと遊んでいたいなぁ〜と思います。 ----- あおあおさんの今日のコメントが役に立つかも。 (2017.06.13 18:30:10)
「日常的なストレスは相手との関係性によって創り出されているからです。」
まさに今職場の人間関係がストレスです。 子どもを威圧的な態度で叱責したり疎外感を与えたりするやり方の担任の先生方との関係が上手くいきません。 見て見ぬふりをしている自分も容認しているのと同じだと思うと胸も痛みます。 ただ不思議なことにそう感じていないパートの先生方もいて、私が管理的で支配的だと言ってもピンとこないみたいです。 保育観は個々に違って当たり前だと言われても、子どもを大事にしているようには見えないと感じているのも私と数人くらいです。 私にもここで出来ることが何かあるのではないかと思い悶々としながらも続けているので、業務上ミスも多くなってきてしまいました。 園の方針に従っている先生方にも全く笑顔が見られず能面のように見えますが、私だけが過敏にそう感じているのかも? 皆で笑顔で保育するにはどうやって繋がっていったらいいのかなあ(>_<) (2017.06.14 10:33:09)
ポップジャムさん
>ただ不思議なことにそう感じていないパートの先生方もいて、私が管理的で支配的だと言ってもピンとこないみたいです。 > >保育観は個々に違って当たり前だと言われても、子どもを大事にしているようには見えないと感じているのも私と数人くらいです。 「何を大切にしているのか」が人によって違うのでそういう違いが生まれるのです。 そのような人達も、そのような人達なりに、子どものことを考えているのです。 そこを理解しないと対話が出来ません。 (2017.06.14 10:49:45)
森の声さん
>「何を大切にしているのか」が人によって違うのでそういう違いが生まれるのです。 > >そのような人達も、そのような人達なりに、子どものことを考えているのです。 > >そこを理解しないと対話が出来ません。 ありがとうございます。 私が自分の考えに固執しているのが原因だと思います。 先生方が日々子どもたちのためを思って保育をしている気持ちを理解し、共感することからもう一度始めてみます。 (2017.06.14 16:13:20) |