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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2019.05.23
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カテゴリ:カテゴリ未分類
人間の様々な能力は直接遺伝子に書き込まれてはいません。
人間は、「人間として生きていくのに必要な能力」を、仲間や大人の「やっていること」や「言っていること」を、「見て」、「聞いて」学ぶように出来ているのです。

さらには「見て聞いて学んだこと」を、自分の能力として定着させるためには繰り返しの体験が必要になります。その体験には当然「失敗」も含まれます。

赤ちゃんが立って歩くことが出来るようになるためには、まず、常に赤ちゃんの身近にいて、赤ちゃんの世話をする人が立って歩いている必要があります。
赤ちゃんは、自分の世話をしてくれる人の「言っていること」や「やっていること」を見て、聞いて、真似をするところから人間としての学びを始めようとするからです。

また、世話をしてくれる人を真似ることで、世話をしてくれる人とのつながりを作ることが出来ます。それが自分の生存を確かなものにしてくれるのです。
だからオオカミに育てられれば、四つ足で歩くようになるのです。

また、歩き始めた赤ちゃんは転んでも、転んでも、ニコニコしながら立ち上がり、また歩こうとします。
「うまく歩けないからイヤだ」などと言って歩くことを拒否する赤ちゃんはいません。(まだ話せませんけど・・・)

赤ちゃんは、「失敗は成功への踏み台だ」ということを本能的に知っているのです。だから、色々なことにチャレンジし、平気で失敗を繰り返すのです。やりたいことは何回もチャレンジするのです。

成長はそのチャレンジの結果です。


そして、お母さんも赤ちゃんが小さいときはそのチャレンジを肯定しています。

赤ちゃんが立って歩こうとしているとき、転んでも転んでも周囲の大人は「なんでもっとちゃんと歩けないんだ」などと叱りませんよね。「転んだこと」よりも「立って歩こうとする」ことの方を喜び、褒めますよね。

片言でも「おはなし」が出来るようになると「話せるようになった」と喜びますよね。

だから赤ちゃんは「立って歩くこと」や「おはなしをすること」に喜びを感じるようになるのです。

でも、お母さんが無条件に子どものチャレンジを肯定し、「出来た出来た」と喜んでくれるのは1~2才ぐらいまでです。

歩くこと、話すことが当たり前になってくると、「どうしてもっとちゃんと歩けないの、ちゃんと話せないの!」と「チャレンジ」よりも「ちゃんと」を要求するようになってきます。

1才の頃にはクレヨンで殴り描きをするだけで、「描けた描けた」と喜び「お絵かき上手だね」と褒めていたのに、○が描けるようになり、「ママの絵」、「パパの絵」と、何を描いたのか言うようになってくると、「ママはこうじゃないでしょ」「パパはこうでしょ」とチェックが入るようになります。

「ママ、おてがみ」と子どもが持ってきた「お手紙」を開いたら、訳の分からない記号がいっぱい書いてあったりすると、「文字に興味を持ち始めたんだ。そろそろちゃんと字を教えようかな」などと思ったりしてしまいます。

赤ちゃんも3才が近くなってくると普通に言葉が話せるようになるので、大人は「もう大人が言っていることを理解できるようになったんだ」と勘違いしてしまうのです。
「大人の価値観」(正解)を子どもにも要求するようになります。

そして大人は、それを「しつけ」だと思い込んでいます。
「言葉が話せる」と言うことと、「大人が言っていることが理解できる」ということは全く別次元のことなのですが、その理解がないのです。


そして、話し方、ご飯の食べ方、お絵かき、遊び、お片付け、手洗い、友達との遊び方などにも厳しいチェックが入るようになります。

さらには、子どもが何か「新しいこと」にチャレンジしようとすると、叱るようにもなります。
高いところに登ろうとしたり、高いところから飛び降りようとすると「危ないから止めなさい」と叱ります。

ハサミで色々切ろうとしても「危ないから止めなさい」とハサミを取り上げます。

お花を摘もうとしたり、水たまりに入ろうとしたり、ドロンコに触ろうとしても叱られます。

友達とケンカしても叱られます。


子どもは1,2才頃までは主にお母さんの真似をしますが、2,3才頃から友達の真似をし始めるので、乱暴な遊びや、汚い遊びをしている子を見ると本能的に子どもは真似をしようとします。裸足で歩いている子を見ると、自分も裸足で歩こうとします。
一人が裸になると、みんな裸になろうとし始めます。

でも、そういうことを真似されては困る大人は、我が子をそういう子から遠ざけようとします。

そして、チャレンジを否定し、正解を与え、大人の言うとおりに行動するように求めます。

また、子どもの「本能としての模倣衝動」も3才ぐらいで次第に弱まって来るので、アメとムチを使い分けることで、その頃から大人の要求通りに行動させることもある程度は可能になってきます。

でも、模倣衝動が萎えてしまうということは、「見て、聞いて学ぶ能力」が低下しているということを意味しているのです。

チャレンジを楽しまなくなるということは、「成長を喜ぶ感性」を失うということを意味しているのです。


それに、子どもは大人から正解を求められても、その正解の意味が理解できません。何が正解なのかも分かりません。だから大人の顔色を見て行動するようになります。

すると大人は「よい子になった」と喜びます。

でも、「自分の世界」を失ってしまった子は同時に自己肯定感も失ってしまいます。
その結果、5才頃でもう自己肯定感が低くなってしまっている子もいっぱいいます。

以前、保育園でお絵かき遊びをしようとしたら「ぼく下手だから描きたくない」と言った子がいっぱいいました。
そのような子は5才にしてもう「お絵かきの喜び」が分からなくなってしまっているのです。

それがお母さんの価値観に合わないことであっても、子どものチャレンジを否定してしまったら、子どもの成長は止まってしまうのです。

そして今、「出来ない 出来ない」と言って新しいことに挑戦しようとしない子がいっぱいいます。

新しいことに興味を示さない子もいっぱいいます。

ちょっと失敗しただけで諦めてしまう子もいっぱいいます。

でも、本来は「失敗」があるから楽しいのです。「失敗」は「新しい世界への入り口」なんです。「失敗」から逃げる子は永久に新しい世界に入って行くことが出来ないのです。

どうか子どものチャレンジを否定しないで下さい。また、積極的に様々なチャレンジが出来る場と仲間を与えてあげて下さい。

一人でオモチャやゲームで遊んでいるだけではチャレンジしようがないのです。
2,3才を過ぎた子は、仲間がいるからチャレンジするのです。





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Last updated  2019.05.23 12:49:46
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