11967725 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「人目」の正体をつ… New! かめおか ゆみこさん

Comments

森の声@ Re[3]:「自由になるということは」(自由になるための学び)(04/25) New! めげぞうさんへ >出会いですね。 きっか…

Freepage List

Profile

森の声

森の声

2019.06.29
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日も子育ての勉強会で、「子どもを理解出来ないのですが、どうしたら理解出来るようになるのでしょうか?」という質問を受けました。

この「子どもを理解出来ない」ということで悩んでいるお母さんは多いです。そのようなお母さんは、「理解出来るようになれば、もっと子どもに合わせた子育てが出来るようになる」と考えているのでしょう。

この「理解出来る」、「理解出来ない」という現象の背景には「気質の違い」があります。

お母さんと子どもの気質が似ているときは、「大人」と「子ども」という違いはあっても比較的理解しやすいです。

「なんでそういうことをするのか」、「なんでそういうことを言うのか」、「次はこういうことをするだろうな」ということがなんとなく分かるのです。

ただ、それで優しくなれる場合もありますが、分かるが故にイライラし、腹が立ってしまうこともあります。

特に、「自分が嫌いな人」や「自分に自信がない人」の場合、「子どもの姿」の中に「自分が嫌いな自分の姿」を見てしまい、子どもの言葉や行動を過剰に否定してしまうことがあります。

でも、当然のことながらそのような場合、子どもには全く責任がありません。とんだとばっちりです。

実際、子どものことで相談を受けて、色々と子どもの様子を聞いていると、どうも子どもとそのお母さん本人が似ているように思えることが時々あるのです。

それで、「お母さんはお子さんのことを色々と非難していますが、でも、あなたはそのお子さんと似ているように思うのですけど・・・」と言うと、「そうなんです。だからよけいに腹が立つのです」と正直に言って下さる人もいます。

また逆に、「全く分からないけど、だから面白い」と言うお母さんもいます。そのようなお母さんは「子どもと自分の違い」を楽しんでいるのです。

また、「違うから、子どもを通して色々と新しい発見が出来る」と言う人もいます。

結局、「子どもを理解出来るか出来ないか」ということは「楽しい子育て」とはあんまり関係がないのです。

大事なことは「理解すること」ではなく、「理解出来ない相手とでも、どう平和的につながり合い、そのつながりを楽しむことが出来るのか」ということなんです。


これは大人同士の関係でも、国と国の関係でも同じです。

それに「人は理解しようと努力すれば理解し合える」と考えるのは幻想に過ぎません。理解し合えるところもありますが、どんなに「理解し合っている」と思い込んでいる人同士でも、実際には理解し合っている部分は、その人の全体から見たらほんの小さな一部に過ぎないのです。

理解し合っていると思い込んで結婚しても、次第にすれ違いが生まれてくるのは良くあることです。
でも、すれ違いが生まれてくると言うことは、その理解が表面的だったということに他なりません。単に「理解し合っている」とお互いに勘違いしていただけです。

逆に、「理解出来ないところもあるけど、相手の気持ちや考え方を尊重します」という気持ちで結婚した人の方が幸せな結婚生活を送ることが出来るような気がします。

人と人が幸せに、平和的に共存するために必要なことは「理解し合う」ことではなく、逆に、「理解出来ない部分」を無理に理解しようとせずに、それを「相手に取って大切なこと」として尊重し、肯定してあげることなんです。

更に言えば、人が自分以外の人のことを自分のことのように理解するのは不可能なんです。
「相手の痛み」を「自分自身の痛み」として感じるのは不可能なんです

じゃあ、子育ての場で、「相手に取って大切なこと」を尊重し、肯定してあげるためにはどうしたらいいのかということです。

一番簡単な方法は「待ってあげる」ことです。

子どもの行動や成長をせかさないことです。
「早くしなさい」と追い立てないことです。

これは子どもでも大人でも同じですが、待ってもらえているときには、人は「信じてもらっている」と感じることが出来るのです。

「待つこと」は「信じること」なんです。そして、「信じる」ことが「愛」でもあるのです。


少なくとも、待ってもらうことが出来た子はそう感じます。

「子どもを愛せない」と悩んでいるお母さんは多いですが、そのようなお母さんに私は

「愛せなくてもいいんだよ。好き嫌いは自分の努力ではどうにもならないことなんだから。でも、努力すれば待ってあげることは出来るよね。子どもはそれをお母さんの愛として感じるから大丈夫だよ」と言っています。

逆に、「こんなに愛しているのに」と愛を押しつけ、追い立て、子どもを支配しようとする人がいますが、そのような人が本当に愛しているのは自分だけです。

そして、子どももそのことが分かります。

理解出来なくても、愛せなくてもいいのです。
子どもは待ってもらえることを通して、お母さんの愛情を感じるのです。


でも、自分を肯定できないお母さんにとっては、これが一番難しいことだと思いますけどね。

(今日、これから沖縄に行きます。7/1に帰って来ます。で、明日、あさってのブログが短くなるかも知れません。)

********

5月に「子ども発見」(改訂版)という本を出しました。子どものことが色々と書かれています。詳しいことは5月14日のブログに書いてあります。

アマゾンで買えます。

講演会やワークショップを企画していただければ、どこへでも行きます。
ご連絡下さい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.06.29 06:27:35
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。



© Rakuten Group, Inc.