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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2019.08.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
皆さんは落語はお好きですか。私は、聞けば面白いと思いますが、でも、積極的に聞くかと聞かれればそこまでのファンではありません。

でも、落語は面白いです。

何が面白いかというと、同じ話でも、話し手が変わると全く別のものになってしまうからです。

文字で書けば全く同じものなのに、話し手が変わるだけで全く別のものになってしまうのです。

「表現」とはそういう世界です。
これは文字と意味に依存している現代人には分からない世界です。

さらに不思議なのは、同じ噺家が語る同じ話でも、「毎回新しい」ということです。

だから、同じ噺家の同じ話でも、何回でも聞けるのです。でも、下手くそな噺家の話は、新しい話でも、話の途中でも飽きてしまいます。

これは非常に不思議なことです。

同じようなことが、劇団四季の劇とか、映画でも名作といわれるものにはあります。だから何回も、何回も、同じ劇や同じ映画を見に行く人がいるわけです。

どうして、もう見たのに、知っている話なのに毎回新しいのかというと、名人と言われるような人は、毎回、毎回、芸を創造しているからです。

同じ劇や噺だからといって、ただリピートしているのではなく、毎回毎回新しく創り直しているのです。

そして、新しく創り直された芸は、見る人、聞く人の心もまっさらな状態にしてくれるのです。

だから、同じ噺なのに、毎回初めて聞く噺のように聴くことが出来るのです。

これが「創造の世界」であり、機械には絶対に扱えない世界でもあります。

大分以前、友人の日蓮宗の僧侶と一緒に、鎌倉で「南無の会」というのを企画していました。その会では、毎回ゲストをお呼びして「心とからだに関するお話」を聞いていました。

お坊さんも、神父さんも、芸術家もお呼びしました。

で、ある時、大衆演劇の世界ではちょっと知られた人(私は知りませんでしたけど)をお呼びして、その人が師匠の家に住み込みで修業をしていたときの話を聞きました。

住み込みで修業していると言っても、芸を教えてくれるわけではなく、ただ、師匠の身の回りの世話をするだけです。

「いつになったら芸を教えてくれるのかな」と思って待っていても、いつまで経っても教えてくれません。ただ、「見て盗め」と言われるだけです。

今時の若者なら「なんて理不尽な」と思うかも知れませんが、住み込みでの修行とは昔からそんなもののようでした。

まただから、「創造する芸」を学ぶことが出来たのです。丁寧に教えてもらったら、「創造する芸」までたどり着けないのです。

その人が師匠から最初に言われたのが、「お風呂の温度はいつも同じにしておくように」ということでした。

で、「そんなの簡単だ」と温度計を買い込み、毎回、ちゃんと同じ温度になるように計ってお風呂を用意しました。

それなのに、ある時は「今日の風呂は熱い」と叱られ、別の時は「今日の風呂はぬるい」と叱られるのです。

でも、温度計では同じ温度です。言われたとおりにやっているのに、叱られるのです。
理由を聞いても教えてくれません。

それで悩んで悩んでいたのですが、あるときハッと気付いたのです。

「自分は温度計を基準にして同じ温度にしていた。でも、ここで基準にしなければいけないのは師匠の体感温度なのではないか」ということにです。

お風呂は温度計のためにあるものではありません。入る人間のためのものです。ですから、「同じ温度」というのは、「入る人が同じ温度として感じる温度」のことです。

そしてそれは、天気や、時間や、入る人のからだの状態によっても異なります。ですから、それらを観察しなければ同じ温度に設定できないのです。

そしてそれは教えようがないのです。

私は普通の人よりはちょっと他の人のからだが分かりますが、普通の人に「ほら、あの人のからだはこうだよね」と言っても通じません。

知識は伝えることも出来ますが感覚は伝えようがないのです。

で、その人は師匠の状態をよく観察するようにしました。そして、「今日はちょっと熱めがいいかな」とか「今日はちょっとぬるめにしておくか」というように案配するようにしました。

そうしたら、師匠に褒められたそうです。

創造的にお風呂を入れることが出来るようになったのです。

「創造的」というのは別に単に「新しいものを創り出す」ということではないのです。

ダンサーは創造的に歩き、ヨガをやっている人は創造的に呼吸し、太極拳をやっている人は創造的に動いています。

子どもとの毎日の会話も、毎回創造的にお話しすることも出来ます。

お掃除や、お洗濯や、お料理なども、創造的にやることも出来ます。作業としてやれば飽きてしまうようなことも、創造的な気持ちでやれば飽きないのです。

「創造的に何かを行う」ということは、自分がやっていることに命を吹き込むことなんです。

演奏家は音に命を吹き込みます。だから創造的な演奏が出来るのです。

それが出来るようになってくると、自分が主人公になることが出来ます。
すると、自由に生きることが出来るようになります。





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Last updated  2019.08.04 07:31:32
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