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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2019.09.17
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カテゴリ:カテゴリ未分類
現代人は「感覚」とか「からだ」という視点が分からなくなってしまったため、「心」についても分からなくなりました。

そのため、心に何かトラブルがあると、カウンセリングのような形で、相手の心と関わることで何とかしようとしています。

コーチングと呼ばれる方法も基本的には同じです。

確かに自分以外の誰かに話を聞いてもらったり、人に話をすることで心の交通整理が出来ます。自分の心に対して俯瞰的な視点を持つことも出来ます。そのことで、こんがらがっていた問題がほぐれることもあります。迷路の出口が見つかることもあります。

ですから、意味がないことではないのですが、これらの方法で解決できるのは問題意識を持っている人や、自分の悩みを自覚している人の問題だけです。

それはつまり、これらの方法では「心の中の問題」は扱えても、「心そのものの問題」は扱えないと言うことです。

例えば、気質が違えば心とからだの状態が違います。この違いは本人達も自覚していません。問題意識も持っていないし、また問題でもありません。
そのため、その人の心の苦しみがその人の気質に起因している場合、カウンセリングをしてもコーチングをしても無駄です。

それはまた、「コマの回し方が分からないんです」という人の悩みは解決できても、「コマが嫌いなんです」という人の問題は解決できないし、また解決する必要もないということです。

そもそも、「コマ」が嫌いな人はコマが回せないからと言って悩んだりはしないものです。それが悩みになるのは周囲からコマを回すように強制された時です。

でも本人は、コマを回したいのではなく、強制されたくないだけなので、コマの回し方についてカウンセリングやコーチングを受けても意味がないのです。というかそういうものを受けたいとも思いません。

また、子育てや教育の場でも、悩みを相談してきた子の問題を解決する場合には、カウンセリングやコーチングという方法は有効ですが、「子どもの心そのものをどう育てたらいいのか」という問題に対しては無力です。

それに対して、感覚やからだという視点を持てば、相手がまだ言葉を話すことが出来ない赤ちゃんや幼い子どもであっても、「心をどのように育てたらいいのかと」いうことが分かります。

発達障害と呼ばれる「ちょっと変わった子」との関わり方も分かります。

鬱病や統合失調症のような状態で苦しんでいる人との関わり方も分かります。

ただし、「治せる」ということではありませんからね。そもそも「心の問題」は治す必要がないことも多いです。実際、周囲が理解してあげるだけで問題が問題ではなくなってしまうことも多いのです。


でも、心理学や、心理学に基づく方法では、このような問題で苦しんでいる人を扱うことが出来ません。そのため、すぐに「薬を使って、症状を落ち着かせる」という方法を使おうとします。

心理学は「心の問題」を「心の中の問題」として扱おうとします。でも慢性的な「心の問題」の本質は、心の外側にある「感覚やからだの問題」なので、心理学では扱いようがないのです。
「心」は「感覚やからだの状態を映し出すモニター」として働いているだけだからです。

私の周囲にはゲシュタルト心理学にはまっている人が多いですが、ゲシュタルト心理学も部分的にですが、感覚やからだという視点も取り込んでいます。
そうしないと説明できないことがあるからです。

でも、ゲシュタルト心理学が「心理学」であるかぎり、本当の全体は見えません。
心理学では、人間の世界を超えた問題は扱うことは出来ないからです。
「人間の中の問題」は扱えても、「人間という存在の問題」は扱えないのです。

発達障害という現象を扱う場合も、「人間の中の問題」として扱われることが多いです。
だから「みんなと一緒」が出来ない子は、「障害児」として扱われることになってしまうのです。でも、発達障害を「人間という存在そのものの問題」として考えた時には、それは単なる障害ではなく、「警告」や「可能性」として扱うことも可能になります。

それと、発達障害の子は独自の感覚を持っています。感覚や思考能力が不良品のように壊れているのではなく、ちゃんと機能している独自の感覚や思考能力を持っているのです。

ですから、人間社会の「普通」を「正常」として基準にしたら「障害」になってしまうのですが、でも、その感覚や思考能力の個性を受け入れてしまえば、障害ではなくなってしまうのです。

それはまた、人間が自分自身を相対的に理解するきっかけにもなるでしょう。
それは、外国に行って始めて、日本のことを客観的に理解出来るようになるのと同じです。





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Last updated  2019.09.17 17:29:31
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