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私たちは「相対的な世界」と「絶対的な世界(普遍的な世界)」の二つの世界を生きています。
「相対的な世界」は人間の意識が創り出した世界です。 それは、「自分中心」の価値観、考え方で出来ています。ですから、人それぞれです。人の意識が創り出した世界には、客観的な基準が存在していないからです。 そのため、自分の都合に合わせて同じものが「善」になったり「悪」になったりします。 考え方も、価値観も、善悪も、美醜の基準も全て自分の都合に合わせて常に変化します。 「同じ行為」でも、ある人にとっては「善」で、別の人にとっては「悪」であるということもあります。 集団意識が変化することで、時代によって、国によって、文化によって簡単に判断の基準が変化してしまうのです。 今はみんな一方的な言いがかりをつけてウクライナに侵攻を始めたロシアを非難して「戦争反対」を叫んでいますが、昔、日本でも「アジアを解放するために」とロシアと同じような主張を一方的に言い立ててアジアに進出していった過去があります。 人間の頭の中では、侵略は「悪」でも、「解放」は善なのです。たとえ、同じことをしていてもです。 命の大切さに違いがあるわけではないはずなのに、ロシアの兵隊に殺されるウクライナの人の命は大切で、ウクライナの人に殺されるロシアの人の命の大切さを言う人はいません。 でも、こういうことを言うと政治的な別の論理を持ち出してきて非難されます。 人は自分の都合に合わせて、平気で異なった基準を使い分けるのです。 子どもたちに命の大切さを教えながら、牛やブタやニワトリは平気で殺して食べています。この場合も異なった基準を都合良く使い分けています。 生き物を大切にしよう、殺さないようにしようといいながら、「外来生物だから駆除しなければ」と平気で人間の都合で連れてこられた生き物たちを殺しています。 どうしてそういう事が出来るのかというと、大人達は自分の都合、社会の都合に合わせて判断の基準を使い分けることが出来るからです。それが「脳が創り出した世界」の特徴でもあるのです。 でも、思春期前の子どもたちには、大人の都合、社会の都合は理解出来ません。また、一つの基準しか理解出来ません。 そして、大人の言うことを素直に信じようとします。大人の言うことを信じることが出来なくなってしまったら大人から学ぼうとする意思自体が萎えてしまいます。そしてそれは、子どもの成長を阻害します。 思春期前の子どもたちに必要なのは「変化しない世界の体験」なんです。それが子どもの心とからだの安定と安心を育ててくれるのです。 ですから、子どもと接する大人達は、大人の都合に合わせて「子どもとの関わり方」や「子どもに言うこと」を変えてはいけないのです。 コロナ以前に「仲良く遊びなさい」と指導していたのなら、コロナになってもそれを変えてはいけないのです。 触れ合うあそびの楽しさを伝えていたのなら、コロナになっても触れ合うあそびの楽しさを伝え続ける必要があるのです。 「相手の顔を見て大きな声で話しなさい」と指導していたのなら、マスクを外させる必要があるのです。 大人は「今はこういう状況だからしょうがない」と自分を納得させることが出来ますが、子どもにはそんな器用なことは出来ないのです。 今ここで、大人達が「それまで言ってきたこと」、「やって来たこと」を平気で否定するようなことを言ったりやったりしてしまったら、子どもたちは大人を信用しなくなってしまいます。 そして、しっかりとした自分自身の価値観を持つことが出来なくなります。 そしてその影響は、コロナ騒動が去った後でも消えません。一生消えません。 今の日本は、子どもの頃に簡単に大人達が言っていること、やっていること、善悪の価値観がひっくり返ってしまった時代に育った子どもたちによって作られてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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