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子どもは将来、経済的にも、精神的にも自立する必要があります。
そして本来は、この自立を支えるのが子育てと教育の目的であったはずです。 でも実際には、その自立を阻害するような子育てや教育をやってしまっている人がいっぱいいます。 そういう子育てや教育を受けた子は、大人になっても経済的、精神的な自立が困難になってしまうため、いつまで経っても親に保護を求めるか、生活が安定しないため親に不安を与えるか、社会的に色々な問題を起こして親に面倒をかけるようになってしまう可能性が高いです。 親子の関係もうまく行かないでしょう。 そして、この状態には終わりがありません。 中には、成長の過程で親以外の人との素敵な出会いと気づきがあって、独力で精神的自立を獲得する子もいますが、そういう幸運に恵まれる子は少数だと思います。 それでも子どもが家を離れれば一時は問題が解決したように思えます。 でも、親が老いて介護が必要になった時にまた、自分が行った子育てのあり方を突きつけられることになります。 我が子が幼いときにしたのと同じようなことを、今度は自分がされるのですから。 ですから、「我が子に対してどういう子育てをしたのか」という事実からは死ぬまで逃れることが出来ないのです。 子どもが成長すると親は簡単に忘れてしまいますが、親子関係の中に「どういう子育てをしたのか」ということがしっかりと記録されてしまうからです。 だから、3才まで、5才まで、7才までは「子育て」としっかり向き合い、子どもの「心とからだの育ち」に寄り添うような子育てをした方がいいのです。この時期、「子育て」としっかりと向き合えば子どもが成長するにつれて子育てがドンドン楽になっていくのです。 また、安心とつながりに満たされ、自分のペースで育てられた子は、精神的な自立も進みます。そして、精神的に自立した子は経済的にも自立しやすくなります。 そのような子は、社会に出てからも親を楽しませてくれるでしょう。 介護が必要になったときも「仕返し」ではなく「恩返し」を受け取ることが出来るでしょう。 一生という長い時間の中では、子どもがお母さんやお父さんを必要としている時間は「ちょっと」だけです。その「ちょっと」をケチると、後で困ることになるのです。「急がば回れ」の言葉通りです。 また、「子育ての時間」を「無駄な時間」と考える人も多いですが、「子育ての時間」は決して「無駄な時間」ではないのです。 「子育てと向き合う」ということは「人間と向き合う」ということでもあります。ですから、「子育て」と向き合うということは「人間を支えている全てのもの」とも向き合うことにもつながるのです。 子育てを通して、心やからだや命の世界と向き合う必要があります。 食の問題や、農薬や自然環境や社会の問題とも向き合う必要があります。 太古から続いてきた文化や歴史とも向き合う必要があります。 すると、「人間が人間らしく生きるために必要なもの」が見えて来るのです。 「子育て」とちゃんと向き合おうとすると、現代人が便利な生活と引き替えに忘れてしまった「人間とはどういう存在なのか」ということを思い出すことが出来るのです。 子どもが「私たち人間もまた自然の一部なんだ」ということを思い出させてくれるのです。 そういう学びをした後、社会に復帰して仕事をしたら、子育て以前よりも遙かに素敵な仕事が出来ると思います。「子育ての時間」は「無駄な時間」ではなく「自分育ての時間」でもあるのです。 また、そういう意識で子育てをしていると子どももお母さんを見習って学ぶことを楽しむようになるでしょう。 「子育て」を大切にする社会ではみんなが幸せに生きることが出来るでしょう。自然も豊かになるでしょう。 でも、大人の価値観で、大人の利便だけを優先し、子どもに大人の都合を押しつけるような子育てをしている社会で幸せに生きることは困難だと思います。 人の心とからだが荒れます。自然も荒れます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.26 08:40:48
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