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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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意思のことばと量稽古 New! かめおか ゆみこさん

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森の声

森の声

2024.01.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類

「知識」は実際に存在した、もしくは存在している何かを説明するために、その〝何か〟から抽出されたものです。


自転車に乗ることが出来る人は、自分の体験から「自転車について」語ることが出来ます。そしてそれが「自転車に関する知識」になります。


自転車を作っている人は、「作る」という視点から「自転車について」語ることが出来ます。そしてそれも「自転車に関する知識」になります。


実際にインドに行った人は、自分の体験からインドに関していくらでも語ることが出来ます。実際に体験した人は知識を創り出すことが出来るのです。

でも、ガイドブックでインドに関する知識を得ただけの人は、ガイドブックに書いてあることだけしか語ることが出来ません。


実際にコマを回せる子は、コマに関する知識を学ばなくても、コマについて語ることが出来ます。そしてそれが「コマに関する知識」になります。


「知識」は、あくまでも「○○について」の説明であって、いくら知識を学んでも、そのもの自体の体験が出来るわけではありません。知識を学んだからといって、それだけで自転車に乗ることが出来るようになるわけでもありません。


知識として「ノコギリの使い方」を学んでも、youtubeでノコギリを使っている人を見ても、それだけでノコギリが使えるようになるわけでもありません。


youtubeで、山のように太極拳の動画を見ても、それだけで太極拳が使えるようになるわけでもありません。

youtubeで得ることが出来るのは「情報」であって「体験」ではないからです。


知識や情報は、試験や情報交換の場では役に立ちますが、自分自身の生活や生き方においては役に立ちません。でもだから、みんな大人になると子どもの頃に学んだ知識や情報を忘れてしまっていても普通に生活することが出来ているのです。


また、いくら知識を学んでも、そのものに関する実際の体験がない人はその知識を理解することが出来ません。「知識や言葉が構成する論理」は理解できても、「知識の基になっている中身」を理解することが出来ないからです。


お母さんが子どもに対して「○○してはダメよ」と言っても、子どもは平気でお母さんが禁止したことをやってしまいます。なぜなら、お母さんが言った「ダメよ」という言葉は理解できても、お母さんの頭の中にある「意図」が理解できないからです。


幼い子どもに熱い飲み物を渡したとき、「フーフーして飲みなさい」と言うと、「フーフー」と言うだけで、息を吐き出して「フーフー」はしません。お母さんの頭の中にある「意図」が理解できないからです。


でも日本の子ども達は、情報交換や試験の時にしか役に立たない知識を学ぶことに子ども時代の多くの時間を奪われてしまっています。

だから、社会に出てから、結婚してから、子育てをするようになってから、どうしていいのか分からなくて不安に陥ってしまっているのです。


今の日本の社会には、子ども達が自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意志で判断し行動する能力を育ててくれるような「実際の体験」が出来る場がありません。


知識は体験を整理し、理解するためには非常に役に立ちますが、先に知識が入ってしまうと、体験から学ぶ能力が低下してしまうのです。

それが「育児書に頼ってばかりいて、目の前にいる子どもから学ぼうとしない子育て」にもつながっているのです。


その原因は、現代人の過度の「競争意識」にあるのでしょう。その競争意識の背景には「不安」があります。

その不安の背景には「体験の不足」があります。


知識が創り出す虚構の世界の中だけで生きてきたので、「生きている実感」を感じることができないのでしょう。






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Last updated  2024.01.04 08:42:01
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