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私はよく「子どもに物語りを語ってあげて下さい」と書いていますが、この「物語」は「人が想像によって作り出したお話し」だけではありません。
考古学者は、遺物や遺跡を調べることで、その遺物や遺跡の中に含まれる「物語」を解き明かそうとしています。 天文学者は星を観測することで「宇宙の物語」を解き明かそうとしています。 昆虫学者は昆虫を研究することで、「昆虫の物語」を解き明かそうとしています。 つまり「そこで何が起きたのか」「そのものに何が起きたのか」「どうしてそうなったのか」ということを解き明かし、その「意味」を理解しようとする行為そのものが「物語」を紡ぐ作業なんです。 そして人間は「意味」を知りたがる生き物です。 赤ちゃんですら「意味」を知りたがります。 だから、成長と共に理解力が深まるのです。 子どもが「どうしてリンゴは落ちてくるの?」「どうして毎日夜がくるの?」と聞いてくる時、子どもは「知識」を知りたいのではなくその意味を理解したいのです。 そして、そのためには「物語」を語ってあげる必要があるのです。 「理解する」ということは、その「意味が分かった」ということなんですが、「意味」は「物語」の中でしか発生しないので「物語」が分からない限りその意味も理解することが出来ないのです。 でも大人はそんな子どもの「なぜ?」に対して、「物語」を語らず、「知識」や「因果関係」だけで答えようとしてしまいます。 「どうしてリンゴは落ちてくるの?」という質問に対しても、「重力があるからよ」とか「風が吹いたからよ」とか、「熟したからよ」などと答えます でも、これは単なる「物の世界に起きた現象の説明」に過ぎません。 「リンゴが落ちてきた意味」が含まれていません。 「リンゴが熟す意味」も含まれていません。 そのため、そういう説明を聞いても、子どもは知識を得ることは出来ても、その「意味」を理解することは出来ないのです。 足下に落ちている小石ですら、その地域の物語、日本の国土の物語、地球誕生の物語、宇宙の物語を含んでいます。 全ての生命や存在は、長い長い「物語」の結果、今、ここに、こういう状態で存在しているのです。 みなさんの今の状態にも、そこに至るまでの長い「物語」があったはずです。 そして、その「物語」の一部として「今日」があり、あなたの子どもが存在しています。 今は「現実」でも、明日になったら、「今日」は「物語」の中にしか存在しなくなるのです。 子ども達も、日々「自分の物語」を紡いでいます。 お母さんとの関わり合いも、子どもの物語の大切な一部に組み込まれていきます。 「子育て」とは子どもの「物語」に参加し、子どもが素敵な「人生という物語」を紡ぐ手助けをすることでもあるのです。 単に、ご飯を作って、洗濯をして、「早くしなさい」と子どもを追い立てることではないのです。 お料理の作り方を伝えたり、空の雲を見上げ「クジラさん見たいだね」と一緒に楽しんだり、道ばたの花に足を止め、色や匂いを楽しむのも「物語」を伝えることです。 そしてそれらの「物語」は、子ども自身の物語の中にも組み込まれていき、子どもの人生の導きになっていくのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.18 05:48:48
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