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ここのところ「体験の大切さ」について書いていますが、では「体験さえあればそれで充分なのか」というとそれも違います。
便利な電子機器やゲームなどというものが生まれる前の子ども達は、ほぼ100%、みんな毎日いっぱい色々な体験をして育っていたでしょう。それでも、素敵に育った子もいれば、困った状態に育った子もいたでしょう。それは歴史的な事実でもあります。 体験が失われた状態で育っている子が「素敵な大人」に育つことは難しいと思いますが、でもだからといって「体験があればOK」という事ではないのです。「体験」は「子どもの成長に必要なもの」ではありますが、それだけでは十分ではないのです。 そこで必要になるのが「言葉との出会い」なんです。体験が「子どもの成長を支えるもの」として吸収されるためには、その体験が言葉と出会う必要があるのです。 「熱いヤカン」に触った時、「熱かったね」と言ってくれる人が側にいるから、子どもは「熱い」という言葉を覚えることが出来るのです。そして、その「熱い体験」を繰り返すうちに「熱い」という言葉の意味が抽象化され、「熱い」という言葉を「自分の言葉」として使うことが出来るようになるのです。そしてそれが子どもの精神の成長にもつながるのです。 体験が言葉と出会う時に、子どもの精神の成長が始まるのです。ですから、「体験」だけでも、「体験が伴わない言葉(知識)」だけでも不十分なんです。 でも、子どもが体験と共に言葉と出会うためにはその体験の場に「大人」や「仲間」がいる必要があります。「言葉」は「他者と感覚や思考や意識や行動などを共有する時」に必要になるものだからです。 そして子ども達は、その周囲にいる大人や仲間を通して「言葉」を学んでいます。だから、周囲にいる大人や仲間が日本語を話していれば日本語を学び、英語を話していれば英語を学ぶのです。 「言葉でつながる事が出来る他者」がいない状態の中で生活したり、遊んだりしている子には「言葉」は必要がないのです。そういう状態で育っている子が「人間らしさ」に目覚める可能性は低いです。 視覚と聴覚を失い野生児状態で育っていたヘレン・ケラーが人間らしさを獲得したのは、サリバン先生と出会って「言葉」に目覚めたからなんです。(サリバン先生が使ったのは「音声による言葉」ではなく「触覚を使った言葉」です。) いくら丁寧に、熱心に子どもの世話をしていても、お母さんが子どもに話しかけず無言で世話をしているだけなら、子どもは言葉を覚えることも出来ないし、感覚能力や思考能力を育てることも出来なくなってしまうのです。当然、「心の育ち」も遅れます。 でも困ったことに、最近「積極的に子どもに話しかけないお母さん」が増えて来ているようなのです。「言葉が理解出来ない状態の子どもに話しかけても意味がない」と考える人が増えて来たのです。 それで、「テレビをつけっぱなしにして見せているだけ」「スマホなどで動画を見せ続けている」という人もいるようです。確かに、それでも少しは言葉を覚えるでしょうが、そのような状態で学んだ言葉には中身が入っていません。 テレビに出ている人が「熱い」と言えば「熱い」という言葉を覚えるかも知れませんが、その「熱い」は自分自身の感覚とつながっていません。そのため「自分の言葉」として使うことが出来ません。 思考の道具としても使えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.28 08:08:38
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