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昔から言い伝えられてきたことわざの中には、昔の人が体験的に学んだ智恵が隠されています。
子育てに関しても多くのことわざがありました。 ・かわいい子には旅をさせよ ・獅子は我が子を千尋の谷に落とす ・案ずるより生むがやすし ・親はなくとも子は育つ ・三つ子の魂百まで ・親の心子知らず ・子の心親知らず ・寝る子は育つ ・子どもは風の子 ・親の恩は子で送る ・子はかすがい ・親の甘茶が毒となる ・老いては子に従え ・負うた子に教えられ 「かわいい子には旅をさせよ」という言葉は親へのメッセージですが、子ども本人に対しては「若い時の苦労は買ってもせよ」ということわざがあります。 これらのことわざは、日本人が何百年という歴史の中で体験的に学んだ智恵です。 現代人は「科学的な根拠がない」などと言うかも知れませんが、「無数の人たちが体験を通して気付いたこと」よりも「科学者が言うことの方が正しい」という証明は存在していません。 そもそも科学者には現場や現実は扱えないのです。科学者が扱えるのは実験室の中の出来事や理論だけです。 実際、「子育てを専門に研究している学者」が、自分自身の子育てでも立派な子育てが出来ているとは限りませんよね。学校の先生の子どもが成績優秀だとも限りませんよね。宗教家の子どもが善人だとも限りませんよね。 私の周囲には、幼稚園や保育園や学校の先生といった「教育の専門家」がいっぱいいますが、そんな教育の専門家でもみんな子育てでは悩んでいます。 科学の世界には、「曖昧で不安定な現実世界」を扱う方法として統計論とか確率論というような方法があります。これは「細かい理由はよく分からないけど、こういう条件の時にはこういう結果になる確率が高い」ということを明らかにする学問です。天気予報もこの方法を使っています。 そして実は「ことわざ」と呼ばれるものも、天気予報で使われているものと同じ方法によって生まれきたのです。 過去の無数の人たちが「自分自身の体験や経験を通して気付いたこと」を後世の人たちに伝えているうちに、多くの人の実感に裏付けされた言葉だけが「ことわざ」として残ったのです。 でも、「ことわざを伝えるつながり」の喪失と共に、何百年と受け継がれてきた智恵も忘れられてしまいました。そして、そのことわざとは反対の子育てをする人が増えて来ました。 昔の人は「かわいい子には旅をさせよ」と言いましたが、今では旅に出すどころか、狭い部屋の中に閉じ込めて広い世界から切り離して子育てをしている人がいっぱいいます。 「親はなくとも子は育つ」というのは、家以外の場に「子どもの居場所」や「安心できる人と人のつながり」がある場合の話しです。「一人で放りっぱなしにしていても子どもはちゃんと育つ」という意味ではありません。 「三つ子の魂百まで」を迷信として否定したがる人は多いです。でも、これもまた事実です。3才頃までに「人間としての基礎」が出来てしまうのですから。 その基礎が出来ていないと、その先の年令になっても成長が不安定になってしまうのです。 三歳頃までに多くの体験と共に言葉と出会えないまま育った子が、三歳を過ぎてから豊かな言葉を学ぶのは困難なんです。 昔の人は「寝る子は育つ」と言いましたが、実際、心とからだが健康な子はよく寝ます。 でも、夜遅くまでゲームなどの刺激が強い遊びをしている子は、ゲームを止めても脳の興奮が収まらないのでよく眠れなくなります。 「親の恩は子で送る」 これは「自分が親から恩を子どもに返していく」ということです。親から受けた憎しみや虐待を子どもに順送りをしている人も多いですが、その逆です。このような考え方が消えたので「親ガチャ」などという言葉が生まれたのでしょう。 「子はかすがい」という言葉は、お母さんとお父さんが共に子どものことを考え、共に子育てをしている場合には有効ですが、家族がバラバラに生活している状態では、子どもは「かすがい」になりません。離婚などの際に奪い合いになることはありますけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.25 09:03:43
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