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現代人は「物語」の大切さを忘れてしまいました。そして、「物語」ではなく「知識」の方を大切にし、子どもにも「物語」ではなく「知識」を与えようとしています。
まただから、みんな「自分らしさ」や「自己肯定感」を育てることが難しくなってしまっているのです。「命の大切さ」が分からなくなってしまったのも「物語」を失ってしまったからです。 現代人が「命を大切にしよう」という場合の「命」は「資源としての命」に過ぎません。 「生きていればいいこともあるよ」という言葉が意味している「命」もまた「資源としての命」です。 わたしの理解では、この言葉の意味は「資源としての命を失わなければ、その資源をうまく活用することで生きていてよかったと感じることもできるよ」ということなのではないかと思えるからです。 この考えでは「自分の命の価値」を「自分」という存在そのものではなく「自分の行為」に置き換えてしまっています。でも私は、「生きていれば・・・」ではなく、「生きていること」そのものが素晴らしいことだと思っています。 そうでないとまだ何も出来ない赤ちゃんや、重度の障害を持った人たちの命には価値がないことになってしまうのです。 実際、現代社会にはそう思い込んでいる人がいっぱいいます。 そのような考え方の人は、子育てや教育にお金をかけることを「子どもへの投資」と表現します。 「赤ちゃんの命」の価値が「投資対象としての価値」に置き換えられてしまっているのです。 でも赤ちゃんの命が尊いのは、大きくなって色々なことが出来るようになるからではありません。「赤ちゃんの命」には、赤ちゃんを守ろうとする人たちに「新しい物語」を与え、赤ちゃんの周囲の人たちや社会を活性化させる働きがあるからなのです。 医学が進歩して人が死ななくなったら、新しい物語を作り出す赤ちゃんは必要がなくなってしまいます。そして社会は停滞し活力を失いやがて人類は消えていくでしょう。 私たちの命が大切なのは、「命」には「つながりを支える働き」があるからなんです。そして、「赤ちゃん」にはその「つながり」を活性化させる働きがあるのです。 「命」とは、「つながりを創り出し、つながりを支える働き」そのものなんです。「命を大切にする社会」は「人と人のつながりを大切にする社会」でもあるのです。 まただから、「命」があるところには「物語」が生まれるのです。「命」を語ると「物語」が生まれるのです。 実際、多くの命とのつながりを実感できている人は「命の大切さ」を知っています。その「つながり」の中に「自分の命の物語」を感じることも出来ます。 でも、物や機械にばかり囲まれ、「命のつながり」から切り離されている人は「自分の命には価値がない」と感じてしまうでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.26 17:45:50
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