自殺を考えたことがある
内閣府が行った自殺対策に関する意識調査で、若い世代への自殺対策の必要性が高まっていることがわかった。 調査は今年1月に、全国の20歳以上の男女3000人を対象に行われた。それによると、「今までに本気で自殺したいと思ったことがあるか」を尋ねたところ、08年の調査に比べて4.3ポイント多い23.4%が「思ったことがある」と答えた。年代別では、20歳代が28.4%と最も高くなっている。自殺を考えたことのある20歳代の男女のうち、最近1年以内に自殺を考えた人の割合は36.2%に上っている。 内閣府は、若い世代の雇用情勢が依然厳しいことや、東日本大震災をきっかけにした経済の停滞などが影響している可能性があるとみていて、これまで中高年の男性を中心に行ってきた自殺対策を、若い世代に焦点を当てる必要がある、としている。(NNN)このような記事を目にした。なぜ人は自殺したいと思うのだろうか?原因やキッカケはさておき、なぜ「死にたい」と思うのか?就職や失業、借金、失恋、先行きの不安、対人関係、病気などなどそれらが原因となって、未来を悲観してしまうから?これらの原因がある人が皆死にたいと思うわけではないだろう・ある人から聞いた話 多数の借金があり、債務が重なっていたある日、ドラマさながらに取立て屋がやってきた。 そのとき、その人が叫んだという。 「こちらも好き好んで払わないんじゃない、必死になって返そうとしてるんだ。 だけど、どうにもならずに苦慮してる。あんたたちも怒鳴って脅してばかりしていないで どうすれば返済できるかその案を持ってきてくれ!そうすれば、こっちだって返済するよ。 それもしないで、脅すばかりじゃあんたたちだって一文にもならないじゃないか!」 そう言って、撃退したという。この人は勇気があったから?、強かったから?「死んでしまいたい」と考えるのは必死に考えたにも関わらず、『何とかできるかもしれない』『何とかなるかもしれない』『何とかしてもらえるかもしれない』という僅かであっても、その希望を描けなかったからではないだろうか?人が考えるとき困った事に対しては決して良い方向へは考えにくい悪い方向へ、最悪のシナリオの方へと考えがちだそして何よりも一人で考えてしまいがちになる『自分が蒔いた種だ』『人に相談できないことだ』『相談してもどうなることでもない』などと一人で抱え込んでしまうつまりだれかに語ることがない自分で考えて自分で自分を追い込んでしまうそのように追い込んでしまうものとは一体何か?それは【言語】だと言えるのではないだろうか?言語によって《人から追い詰められ》言語によって《自分で自分を追い詰め》言語によって《未来がないと思い》言語によって《生きる意味がないと思い》言語によって《死ぬしかないと考えてしまう》これらの言語から逃れる方法は目を閉ざし耳を閉ざし口を閉ざすことその究極は【死ぬこと=自殺】そうすればもう二度と【言語】によって追い詰められる事も、追い詰めることもないつまり人は人や事象によって【死】を選ぶのではない【言語】によって【死】を選ぶのではないだろうか?だとしたら【言語】によって人は生きていく生きる意味を持てたら生きていけると言えるのではないだろうか?《人に語ること》《誰かに相談すること》そのことで【自殺を生きるに書き換えられる】そのように私は考えているシニフィアン研究所のHPも参照くださいhttp://signifiant-lab.com/