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2005/12/22
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カテゴリ:映画・テレビ好き
吉岡秀隆と内田有紀の離婚話を聞いていたら、山田洋次のことを思い出した。
私は山田洋次のファンだ。

「寅さん」シリーズは大好き。「寅さん」のブログを作ろうと考えたこともあるほどだ。

また最近の時代劇シリーズ、真田広之「たそがれ清兵衛」、永瀬正敏「隠し剣、鬼の爪」は素晴らしい。

山田洋次は、古めかしい人情を表に出す映画を作る人だが、現代劇ではそれが古めかしく、クサくなりがちになって、時折「こんなやさしい人いねえよ」と突っ込みたくなるのだが、時代劇だと山田洋次的な人情話は、不自然ではなく受け入れられる。

山田洋次が撮る時代劇を見ると、この人の資質は現代劇ではなく時代劇にあるのではないか、そんな気がする。
山田洋次的な、ちょっとべたっとした人情話は、現代劇では違和感を抱く人が多いが、江戸時代を背景に描いたらピタッとはまる。

山田洋次の脚本は、古典落語に似ている。
山田洋次の現代劇は、古典落語の世界を現代に置き換えたものだといってもいい。
山田洋次は古典落語の世界を、強引に現代に押し込んだ。この試みは「冒険」と言いかえてもいいだろう。

ただ、現代人の身体に、古典落語的な人格を嵌め込む試みは、若い人からは「古めかしい映画」と映った。
逆に山田洋次が撮る時代劇は、モダンな感じがするのだ。

また、山田洋次の演出は、藤沢周平の原作とはベストマッチだ。藤沢周平の清冽さと、山田洋次の隠れた激情が、映画を豊かなものにしている。

藤沢周平の最高傑作「蝉しぐれ」も山田洋次で映画化して欲しかった。

山田洋次の新作時代劇は来年公開されるらしい。主演はキムタク。今から楽しみである。

さて、山田洋次の作品の中でも、「幸福の黄色いハンカチ」は日本映画の最高傑作のひとつだと思っている。
「幸福の黄色いハンカチ」は、山田洋次の現代劇の中で最も人情味が濃密で、クサい映画なのだろうが、ここまで濃厚に描かれると凄みが出て、大名作になる。

「幸福の黄色いハンカチ」という映画のストーリーを手短に紹介する。

高倉健が妻である倍賞千恵子を守るために、止むを得ず殺人を犯す。そして刑務所に入る。

高倉健は入所中、倍賞千恵子に「俺を許して迎えてくれるなら、家に黄色いハンカチを1枚かざしておいてくれ」と手紙を出す。

高倉健は出所する。(出所した直後、高倉健は食堂でカツ丼と醤油ラーメンを食べるが、この食い方のうまそうなこと!)

出所したのはいいが、しかし、家に帰る勇気がない。こわい。妻の倍賞千恵子が自分を迎え入れてくれるか不安で仕方がない。

高倉健は結局、家には帰らないことにした。
そんな時、桃井かおりと武田鉄矢が演じる、車で旅行中の若いカップルに出会う。
(1978年の映画だから、桃井かおりも武田鉄矢も若い)

最初は桃井かおりも武田鉄矢も、高倉健が殺人犯で出所したてだという事実を知らない。
しかし、刑務所にいたので免許を更新していない高倉健が、たまたま自動車を運転していたとき、悪しくも検問に引っかかってしまい、警察に呼ばれ、若い2人に高倉健に殺人の前科があることがばれてしまう。
(この検問のお巡りさんの役が渥美清。この人が警察官のおかげで、場がなごむ)

桃井かおりと武田鉄矢は、高倉健が殺人犯だったという事実を知り恐れるが、高倉健から殺人に至るまでの、やむをえぬ悲しい事情を聞いて、逆に高倉健を後押しする。

2人は絶対、再会しなければならない。

そして若い2人に背中を押される形で、高倉健は家に帰り妻に会う度胸ができる。

夕張の炭鉱にある家に帰る途中、高倉健は緊張して、何度も引き返そうとする。
でも家に着いた。3人は恐る恐る家を見上げる。
家では倍賞千恵子が洗濯物を乾かしていて、その上には黄色いハンカチが、1枚どころか、何百枚もはためいていた。

というストーリーだ。

さて、倍賞千恵子が黄色いハンカチを家の外に何百枚もはためかせるのは、ただ単にお疲れさま、お帰りなさい、という意味だけではない。

高倉健の犯した殺人の罪も、また殺人を犯したことで生じた「穢れた」部分も、すべて赦すという、確固たる意思表示だ。

高倉健は出所した。しかし倍賞千恵子が自分の穢れた部分まですべて受け入れてくれるか、心配でたまらなかった。

自分は悪いことをしてしまった。そんな穢れた自分は妻の前に再び現れる資格があるのだろうか。高倉健は迷いに迷っただろう。

だから、高倉健は出所した後、真っ直ぐに倍賞千恵子の元には帰らなかった。

でも倍賞千恵子は圧倒的な愛情で、高倉健の穢れた部分も全部ひっくるめて迎え入れた。その象徴が黄色いハンカチに他ならない。

愛する人の穢れた部分も包み込む巨大な愛情を表現しているからこそ、「幸福の黄色いハンカチ」は名作なのだ。

そういえばイラク派兵の時、再び日本に帰ってきた自衛隊員を、黄色いハンカチで迎えよう、という議論があった。

「幸福の黄色いハンカチ」のストーリーを、イラク派兵に置き換えてみると・・・

「自衛隊員の皆さんはイラクへ行きます。もしかしたら私たち日本人を守るために、人命を奪うという事態も起こるかもしれない。自衛隊員の手は血で汚れ、心は殺人の罪の呵責で乱れるかもしれない。でも私たちは自衛隊員が犯した「殺人」という罪も赦します。黄色いハンカチを掲げることは、その意思表示です。」
ということになるのだろうか。

黄色いハンカチを掲げて自衛隊員を迎えようとする側は、「殺人の罪を赦す」というニュアンスで、この運動を推進していたのだろうか?

黄色いハンカチが赦す罪は、自衛隊員の「殺人」だけなのか、それとも日本政府のイラク派兵という罪をも赦すものなのか?

また、公的機関が先頭に立って黄色いハンカチで自衛隊員を迎えるのは、馬鹿げていることは明白だ。
人殺しの罪を赦すかどうかは、個人レベルの問題で、国家レベルの問題ではないはずだ。





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Last updated  2005/12/22 11:22:39 AM



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