一人で行動することが多かった私は、無花果の木に登ったり家の外でもよく遊んでいました。小学校低学年のころは家の庭で、高学年になると近くの川に出かけました。
我が家から50mほど先には小さな川があり、少し足をのばせば沢ガニ、川エビ、シジミ、どじょうなどを捕ることもでき、さほど危険な場所もなく私が小学生の頃は遊ぶ所には苦労しませんでした。
それも小学校高学年のころまでで、その後は田畑が整備されヘリコプターによる農薬散布が行われ、辺りの自然は急速に破壊されました。夏のホタルは消滅、春のモンシロチョウや秋の赤とんぼの数は減少し、一年を通しカラスだけが自棄に目につきます。それでも、カタツムリ、スズメ、カブトムシなどは最近でも希に発見することがあり、思わず心が和みます。
私が小学生のころのメディアを考えると媒体が限られており、学校は情報源として欠かせない場であったと思います。全国的に評価の高い、群馬交響楽団の演奏や、日本の古代史を変えた相沢忠洋氏の講演、その他演劇、映画など、小学校の時、直接ふれあうことができた体験は、今でも忘れ得ぬ思い出になっています。
足に障害があった私は、養護教諭として赴任していた母親の同級生の気遣いにより、いつも椅子に腰を下ろし視聴できました。特に63歳の誕生日を迎えることなく亡くなった相沢氏の体験は、本を読むくらいでは決して味わえないほどの感動が残っています。この相沢氏の話の中に、群馬から東京まで自転車で通ったという事実が、彼の味わった苦悩とともに、都会への憧れがあった私の心の中にいつまでも残りました。ふだん、テレビや新聞などでしか見られない都会の風景が、身近にあった自転車と結びつき、夢は膨らんでいきました。