キザイチ神田とエミとナオミの疑問?! -もう会うこともないだろうな~。-
No.051組立てラインで3ヵ月間だけメンバーだった、みんなとちょっと違うおじさんの話。 昭和29年頃に北海道で生まれて日研Sgの期間契約派遣社員になりたてだったナカヒラノくん。思いっきりマイ・ペースの彼は、故郷の北海道でのんびりしてるころだろう、といっても推測だけどネ。 2005年に安曇野・豊科S*NY No.51組立ラインでセル工程のメンバーだったころに、組立てライン内でしか組立のコツとか聞いてきたり雑談しかしたことがなかったから、どんな人なのか詳しくは知らない。 年下が苦手で嫌いだったらしく右隣りの年上の60歳代になったばかりの、梱包セル工程担当でNiケイテムのナカコガくん意外とは、ほとんど雑談しないんで左隣りのセル工程で総合組立て2を担当しながら、ほとんど聞いてただけ~。 2005年5月頃から都内の日研Sgで入社面接をして欠員補充で安曇野・豊科S*NYテックへ赴任。1Fの日研Sgの組立てラインに配属されてから、2Fの組立てラインに応援で移動して来たんで、1Fの日研Sgの契約期間が同じ人は、人となりを良く知ってるらしい。 かなり、人なつっこくて一方的に親しみを込めて話しかけてくるから、少しうるさかったね~。 今頃は、どこか別の工場か風俗店に戻って仕事頑張ってるんだろうね。 ずっと日給の仕事をしてたせいか、月給の仕事が辛いらしい。 半年間だけ組立てラインメンバーになったついでに、せっかくだから書いとくけど、なんでナカヒラノくんが、日研Sgに期間入社したかというと札幌すすきので、約25年間くらい風俗店(スナック)の客引き・呼びこみのフリーターをしてたらしいけど、45歳でオジサンくさくなって来たのと札幌市の条例で客引き行為が禁止になって、雇用を解除されて職探しに東京に上京して、札幌・東京・長野オリンピックつながりで街の雰囲気が似てるから、仕事しやすいだろうってことで日研Sgに応募したら欠員補充が出来たんで出てきたらしい。 '05年に豊科S*NYテックに日研Sgに派遣社員で入社しから、派遣されて来る5年くらい前までは札幌すすきの界隈の風俗店(スナック店)では、ちょっと名前を知られてる客引きで、お客の入りが少なくなって困ってる店だけ、大通りから飲み客を案内してたらしい。 冬場は-20℃の圧雪の中で立ちんぼの客待ちしてたんで、しんどかったらしい。それに比べたら工場の仕事は楽だったみたいだな~。 人材派遣(工場への従業員の派遣。)ってメーカーとかの工場内の、地味な組立・検査・梱包ばっかりしてるから物珍しさもあって、”えっ!何~ すすきの の風俗街って、どんなとこなの~”って、好奇心の旺盛な人の、つかの間の雑談の人気者だった。 ナカヒラノくんが、No.51の組立ラインを降板するころには風俗店の話も、飽きられて、No.51組立てライン・メンバーとも仲間意識が離れて他人みたいだったな~。 自由に休憩時間が取れる風俗の方が好きならしく、普通に会社の社員規則に束縛されてるのが嫌いだったらしいんで、もう会うこともないだろうな~。 普通に仕事が出来るようになってれば、組立てラインのみんなの悩みも解決するんだけどね。 ブログを書いてるときは思い出さないのに、書き終わった後で思い出すのは何でだろ~よくあることだね~ ブログの半角10,000文字制限を気にしなが書くからかも、エラーが出てアップロードできなくなるから編集だらけ~。楽天ブログをご訪問のみなさん、読みづらかったらゴメン。