知多市「愛知用水神社、愛知用水水利観音」
2022/3/3知多市佐布里白脇に鎮座する「愛知用水神社」と「愛知用水水利観音」を訪れた。佐布里と聞くと愛知用水の調整池「佐布里(そうり)池」として知られる。調整池一帯は佐布里緑と花のふれあい公園として整備され、園内の佐布里池梅林は25種類、6,000本の梅が植えられこの時期になると開花時期を迎える。園内では梅祭りも開催中(3/13で終了)だった。花の開花は自然のみぞ知る、イベントの都合に合わせてはくれない。この日の開花状況は3~4分咲き。上は園内マップイベントがなければ車で訪れても駐車場の心配はないでしょう。目的地「愛知用水神社」と「愛知用水水利観音」は佐布里の北端の西側の池を見下ろす小高い丘(赤丸部分)に鎮座します。愛知用水と名が付く以上、用水について知る必要があるだろう。知多半島全体は大きな河川がなく、往古から水の乏しい土地柄。そこで灌漑用の溜池がいたる所に作られ田畑を営んでいたが、その水源の貯水量は自然のみぞしる。自然に依存する水事情を解消する目的のため、長野県鉢盛山(標高2446.6㍍)を源に伊勢湾に注ぐ木曽川の水を取水し半島先端まで導水する総延長112㌔に及ぶ愛知用水が作られました。上は愛知用水の導水経路用水は1961年(昭和36)に一期工事を終え、岐阜県の八百津にある 兼山取水口から導水が行われ、その後も二期工事として調整池や更に細かく配水する経路の工事が進められ、その水は離島の日間賀、篠島にもおよぶ。この佐布里池は1965年(昭和40)に完成したもので半島と離島の水事情の改善に伴う約4年に渡る工事期間中56名の方が亡くなられた。「愛知用水神社」と「愛知用水水利観音」は水の恩恵に感謝し、それを実現するために亡くなられた方々をお祀りするため受益者により創建された神社。佐布里池を見下ろす小高い丘。梅林の広がる園内に大きな巨樹が聳える一画が愛知用水神社の杜だ。右愛知用水神社社標左水源感謝之碑周辺の楠木が御神木。社頭全景。右に愛知用水神社、左に愛知用水水利観音の石標。中央が愛知用水神社、左が愛知用水水利観音で右に社務所。御神木の楠木が陽射しを和らげ明るい境内。左の愛知用水水利観音と狛犬が守護する愛知用水神社。愛知用水神社、左に由緒書きが建つ。愛知用水神社建立 / 1976年(昭和51)祭神主神 / 熱田大神、熱田神宮、名古屋市熱田区相殿神 / 罔象女神、丹生川神社中社、奈良県東吉野村〃 / 水分神、吉野水分神社、奈良県吉野町〃 / 高龗神、丹生川上神社上社、奈良県川上村〃 / 埴山媛神、波爾布神社、滋賀県新旭町水と土を司る神々が祀られている。用水を流れる水は山、川、海、大気が絶妙のバランスを保ち成立している。そこには保全に努める人の汗があってのもの、異常気象はそのバランスが崩れて起きている。そのバランスを乱しているのは我々自身なのを忘れてはいけない。野麦峠の東に聳える鉢盛山に木曽川源流碑がありますが、そこには「母なる川ここに生まれる」と記されています。そちらは営林署の許可が必要な林道の遥か先です。河原でバーベキューなど好き勝手に振舞い、地元とのトラブルの話を聞きます。水源地に住む方々は自然のサイクルの一つの要素「山」の美化・保全意識をもっています。蛇口を捻れば水が出るのが当たり前ではない。母なる川の下流に住む我々は何ができるのか考えることも必要。事実、水不足による工場停止、洗車、朝シャンとんでもないそんなことがあったのはつい最近の事です。この神社はそうした気付きを与えてくれるものです。愛知用水水利観音堂。建立 / 1976年(昭和51)本尊 / 水利観音立像殉職者56柱を祀る社務所前の水源感謝之碑碑文には愛知用水沿革、建設概要、愛知用水神社、愛知用水水利観音堂の建立由来が記されている。 水源地木曽山方位の碑木曽山の遥拝所、遠く離れてはいるけれど下流に住む我々、水源地のへの感謝は忘れてはいけない。何に感謝する?今は平穏な御嶽や周辺の乗鞍を始めとする山々もいつリセットボタンを押すかもしれない。「平穏でいてくれている事に感謝」するしかないかな。愛知用水水利観音堂から西の眺め。眼下に梅の館や観葉温室などの施設が一望できる。梅の館付近から愛知用水水利観音堂を見上げる。常緑樹以外冬枯れた光景に梅の花が一面染まるにはまだまだのようだ。愛知用水神社創建 / 1976年(昭和51)祭神 / 熱田大神、罔象女神、水分神、高龗神、埴山媛神愛知用水 水利観世音堂創建 / 1976年(昭和51)祭神 / 水利観音立像所在地 / 知多市佐布里白脇 公共交通機関アクセス / 名鉄河和線「八幡新田」降車、西へ徒歩35分程関連記事 / 佐布里池梅祭りと周辺散策 03/03