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2023.12.02
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
広済寺の前を通る県道12号線。
県道沿いに蔵造りの町並み方向の南に向かう。
蔵造りの町屋がチラホラ見えるようになると歩道の人波が徐々に増え、観光客向けの店が軒を連ねる。

ここまで来ると歩道は人で溢れ車道も歩道もない状態。
県道を走る路線バスも気が抜けない、道行く人の多くは海外からの観光客が多かった。
平日でもこの光景、観光客目当ての店舗や宿泊業を営む者にとっては嬉しい忙しさが戻ってきたという事で喜ばしい。
一方で地元に住む者や国内の観光客からみればどの店に入っても大陸系の観光客で溢れ、ホテルも高くなり素直に喜ばしいとは思えない。

今回の目的地は川越のシンボル時の鐘を目指します。
県道沿いの「時の鐘入口」の看板で左に曲がり「鐘つき通り」に進みます。

県道から東に入り人波は少しは…
正面に見える時の鐘、川越のシンボルだけにカメラはこれ以上下に向けられない程賑わっていた。
石畳の通りは商店や飲食店が連なり、その町並みにひと際高く聳える時の鐘がある。
かみさんが川越を訪れたら見たいと云っていた時の鐘。
観光案内の内容は以下。
「時の鐘は、江戸時代の初期、酒井忠勝が川越城主(1627~1634) のころに建設されたと伝えられています。
その後何度か焼失し、現在の時の鐘は、明治26年(1893)の川越大火の翌年に再建されたもの。
高さは約17.5㍍、平成8年に環境庁の「残したい日本の音風景百選」に選ばれています」

…ここもまた記念撮影スポットで人波が途切れることがない。

見上げるばかりの時の鐘、三芳野名所図会の挿絵にもその姿があり、蔵造りの町並みにひと際高く描かれている。
3重4階構造の鐘楼門で創建された江戸時代初期から、「時」を告げ、現在は1日4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)自動制御で鐘を鳴らしてくれます。
屋根は方形の銅葺で側面は板張りのようで、現在の時の鐘は平成28年に耐震化工事が施された4代目になるそうです。

梵鐘に精一杯寄って見るが自動金突打ち機の仕組みは分からなかった。
川越市の解説は以下。
「旧多賀町に立ち、蔵造りの町並みを見下ろす時の鐘は、江戸時代初期の寛永年間(1624-1644)に創建されて以来、度重なる大火によって、焼失、再建が繰り返されてきた。
現在の建物は、明治26年(1893)の大火で焼失した後明治27年に再建され、鐘も再鋳造されたものである。3重4階建総高さ約17.5m(約57.7尺)の規模をもち、3重の屋根は銅板一文葺の方形造で、初重(しょじゅう)、2重の庇は銅板瓦棒葺となっている。
施工者は、連雀町の大工棟梁 関根松五郎で、鐘を鋳造したのは神明町の鋳物師 矢沢四郎右衛門。
二人とも地元川越の職人である。
造営後、幾度か修理や整備が行われ、最近では平成27、28年度に半解体修理が実施された。
時の鐘は蔵造りの町並みのシンボルとして今日まで親しまれている。」

4階建ての一階は門になっており、おやじの目的地はこの先に鎮座する薬師神社。
時の鐘は薬師神社の鐘楼門的な趣。
頭を支える四本の柱、その右に「薬師神社」の社標が立てられています。

「薬師神社の由来
薬師神社は、以前瑞光山医王院常蓮寺という寺でしたが、明治維新の折に薬師神社となりました。
本尊は薬師如来の立像で行基菩薩の作といわれています。
五穀豊穣、家運隆昌、病気平癒、特に眼病にご利益があるといわれています。
右奥の稲荷神社は出世、開運、合格に著しいご利益があるといわれています」
とある。 

時の鐘をくぐり石畳の参道を進む、参道右に手水鉢が置かれ清水が注がれていた。

薬師神社全景。
三芳野名勝図会の天台宗常蓮寺に薬師堂として以下のように記されていた。
「以前は本町南側中程にあり、元和年中酒井備後侯之御時今之地に移し、一梵刹として常蓮寺と云、今の地には庚申塚あり、今猶猶寺内にあり。
本尊 薬師如来 行基之作、脇士 日光・月光、脇壇 十二神将、聖徳太子、青面金剛等安置。
庚申塔 堂前東之傍有 稲荷祠 金比羅権現祠」

ここで云う本町は、ここから北東に5分程歩いた現在の元町あたりかと思われ、1615年から1624年にこの地に移されとあり、明治に入り常蓮寺は破却、薬師神社と改称したのが現在の姿のようです。
川越大火で被災し、辛うじて本尊の薬師如来立像だけは運び出され、その他は焼失したと云う。
現在の姿は平成14年(2002)に改修を受けたもの。

右手にあるのが稲荷神社でその本殿の左側に青面金剛がある。

境内にあると云う庚申塔や金比羅権現祠については見落としたのか見当たらなかった。
何気に参道右の石碑群を撮ったこの一枚、ここにそれらがあったのかも知れない。

拝殿額「川越薬師如来」とあり、ピントが甘く揮毫までは読み取れなかった。
御利益は病気平癒、眼病に効果があるそうで、最近めっきり視力の衰えを感じるだけにいつもより長めに拝んでいた。

稲荷神社全景。
稲荷鳥居の先には小さめの狛狐が守護する。

稲荷神社本殿と左に青面金剛。
この稲荷、出世稲荷として親しまれているとか、その筋に御用の方は参拝するといいかもしれない。

薬師神社側面。
妻切り平入りの拝殿に幣殿、覆殿が一体となって連なるこぢんまりとしたもの。

覆殿から眺める時の鐘。

境内から時の鐘全景。
人波が少なくなるのを随分待っては見た……無理だね。

地元の御婆ちゃん、情緒ある小江戸川越をひっきりなしに訪れる観光客の姿を眺め何を感じているのか。
観光立国……ですかぁ、買い叩かれてるなぁ。

時の鐘
建立 / 寛永年間(1624~1644)
薬師神社
創建 / 不明
祭神 / 薬師如来立像
境内社 / 稲荷神社
所在地 / 埼玉県川越市幸町15-8
広済寺から徒歩で県道12号線を南へ / ​5~6分
参拝日 / 2023/09/25
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Last updated  2023.12.02 14:56:36
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