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長押 綴

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2011.12.10
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慶応の過去問2008年にあった、カント先生の「教育学」に

「あらゆることを遊びとみなすように子供を習慣づけてしまうのは、きわめて有害である」

とあって、そういえば昔自分で自分にそう「習慣づける」実験をしてみたなあと思い出したので書いてみます。


私は基本的に集中力の高い子供でした。
その高い集中力と、偏執的なほどの向上心が、算盤や囲碁の力を途中までぐんぐん伸ばしてくれました。
大好きな算数や漢字は、計算ドリルを先にやってしまったり、漢字辞典を趣味で読んで覚えることで「趣味」で「勉強」をできたのです。

趣味で勉強を出来ると言うことは、別に辛いことをしていないのに、大人からは褒められるという一石二鳥なことです。

だから苦手な体育や、覚えづらい理科・社会でもそうすることができたらとてもいいなと思い、実行してみました。

その手を伸ばす範囲は段々と増えていきました。

そして、段々と私の関心は、趣味そのものではなく、「それを趣味にできる自分」になっていきました。

恋に恋する、でなく趣味にすることを趣味にしたのです。

それはとどまることなく、マイナスさえも趣味にしようというところまで来てしまいました。

嫌うものを倒すことが趣味というわけでなく、勝てない、克服できない辛さ苦さも面白いに変換できたらと思ったのです。結局それを実行するには私のキャパシティは足りませんでした。大変なことを面白いと思うには、大変でないことを楽しむ自分と戦うことになってしまいました。

今、少しは容量が大きくなった自分がそれを楽しむには。
面白いと積極的に思うのではなく、味わうというやり方でできたとしたら、モーム著「人間の絆」のフィリップみたいに、人生を織物と考えることができたら、私の今の悩みも少しは違う見方を出来るだろうか?と気になります。

本能から視点は生み出されているのではないかと思います。それを無理にまげて、それこそが正しい姿だと思うことがきっと私には難しかったのでしょう。

視点を「楽しくない」の壁にぶつかるごとに180°変えるのではなく、少し後ずさってみるのが「全て」のものを、本当に「楽しむ」には一番いいのかもしれません。


私はどうあがいても、偏見を消すことが出来ませんが、それさえも客観視出来たら少しは楽になるのかもしれません。





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最終更新日  2015.02.10 23:27:55
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