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長押 綴

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2012.02.04
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慶応の2009年の小論文の問題で、「常識を越えたできごとが、いかに常識を動かしていくか」
という文を見た。
ここでは、常識を動かす為には常識人である必要がある、常識の輪郭を悟っている必要がある……
という方向の話で使われているけれど、常識人じゃないからこそ常識を作ることがあるのではないか?と思ったりします。

常識人は一体、対立する人に対して強いのでしょうか弱いのでしょうか?

私自身は自分がつっこみになることはあっても常識人になるとは思わないです。
というか、(あっ、これ言っちゃいけないやつだ)と、突拍子がないことを自分でも自覚している言葉を発してしまった・あるいは衝突覚悟で話してみた場合。何の衝突も無くするっと受け容れられたら逆に戸惑います。

相手の心が広い……と、思えるシチュエーションや相手ならばいいのですが、
相手が「私に表面上合わせている」状態で、心の中で色々うざってえなと思ってたとしたら、とか
相手が「私にあわせて常識を曲げたのだろうか」と思うと、恐ろしくて恐ろしくてなりません。
特に、aという見方を肯定され、真逆に近いbという見方を言っても肯定されたら
この人肯定ばっかりかーーー!!!とか思ってしまいます。

ただ、最近少し自分でもその「相手」サイドのような反応をするようになってきたので
もしかしたら彼女らはそんな考えで「意見を変え」たり、「私を全肯定し」たりしていたのかな、と。

うまく説明できませんが、乱文覚悟で書きたいと思います。



1:矛盾した感情を抱いていることがあります。
 例えばaという作品が面白いか、つまらないか…あのラストの悲劇性が良いか悪いかなど
2:ある人とその話をしていると、その内一面について言及されることがあります。
3:本心から肯定します。そうだと本当に思っているから。
4:相手が違う見方もします。
5:それも肯定します。本当に思っているから。(一瞬戸惑いもしますが)


相手に、分かって欲しい。
けれど相手に、あまり変わって欲しくない(未知になってほしくない)。
これって二律背反なんでしょうか。





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最終更新日  2015.02.04 22:42:53
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