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長押 綴

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2012.04.07
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数学の解き方はどんな道を通ってもたいていの場合同じ答えになる。
けれど、数学以外の問題は解き方によって真実がいつも一つじゃないこともある。
私にとってある問題の公理が幾つもあるけれど、芯の通っている人にはただ一つある。そして、一つだからこそ守り通せる。そういう人は、その為に一つにしたのかもしれない。

小学校の算数の模範解答はおおむね一つだけれど、
国語は小学校でもたまに二つ三つあることがある。

ただ多くの解答を持っていることが必ずしも正解に辿り着きやすくなるというわけではない。
例えば
「ケーキは我慢しなくちゃいけない」と「ケーキさえあれば勉強頑張れるのに」
そんな公理同士の阻み合いもある。二律背反。そして、公理はあるのにそれをちゃんと利用できない時がある。結局身にフィットしきってくれない時がある。
芯の通っている人は、一つの大事な答えを繰り返す内に慣れて、ちゃんと自分の物にしたんだと思う。だからすごいと思う。

さて、そうした人の、他人への接し方について。
だからこそどちらから触ろうとしても唸る野良猫のように余裕がない場合と違って、
そうした芯の通った人は大抵殴りかかりでもしない限り唸ることはない。

ある物事に対しては公理が一つ。ある物事に対しては公理が一つ。
縋る他人を切り捨てはしないけれど、キャッチセールスのチラシは断るというようなやり方。
しかし、それが、それを出来ない人にとっては難しい。どんな場合も例外はあるから。

「この物事への対処法を書いた本はありますか」「この公理は載っていますか」「この公理は過去にそこにありましたか」と問い合わせれば載っている図書館はなくて、大抵の場合は様々な資料を読み漁った結果自分でまとめなければいけない。まとめるまでが長い。そしてまとめるまでに削ったものに大事な鍵があったかもしれない、と思うとなかなか捨てられない。

「整理した結果の一つ」、「抑圧した結果の一つ」、「斬り落としたor他のものを未発見ゆえの一つ」どれについても見落としはあるのだろう。

 だけど、見落としてもそれを拾い時に生かす友達が隣で一緒にもがいていたら、そうしたら少しは安心して選べるかもしれないと思った。





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最終更新日  2017.02.11 03:22:54
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