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カテゴリ:煮
人の心はシュレディンガーの猫を閉じ込めた箱と同じで、実際に現れるまでは外から推測するしかないものだ。本当の所は本人しか…場合によっては本人も知らない。
本人が知らない滲み出た部分を他人が気づくこともあるが。 事実主義者にとっては外側が全てだ。 どんなに自分が愛されるためのやさしさだとしても、それは人の役に立っている間は優しいのと同じ。 どんなに内側に優しさを内包していたとしても、それを明かさなければそれは優しくないことと同義なのだ。 それがどこかで明かされるか、にじみ出るか、何かしらの契機に気付く時までは。 敢えて放っておいて、突き落として成長させる教育なんてこの例なんじゃないだろうか。 けれどいつか、いつも厳しく見えたものが、優しく見えるようになってくる日がやってくるかもしれない。わずかにその立ち位置を経験したなら、少しそちらに近付いたのなら。 それが、きっと大器晩成にも繋がるのだろうと思う。 もしくは早熟でも危うい人の支えになるんじゃないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.02.16 23:31:21
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