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カテゴリ:煮
スマホを使い始めてそろそろ1年。
先日から「データが一杯です。不要なデータを消去してください」というメッセージが何度も出ます。 文化祭行ったり旅行行ったり博物館行ったり、その度にカシャカシャ撮ってるんじゃそりゃストレージ一杯になりますよね。 なのでラクスルboxとか利用して、データを移しては消し移しては消し、を繰り返しています。 友人やディスカッション中の参考に見せたい写真とか動画だけ残して、後は消去消去消去消去。 目がチカチカしますが、消えていくのを見ると寂しさとともにテトリスのようなさっぱりすっきり感。しばらくオチゲーはやりたくないです。 特にビデオ系はすごいですね。たかが数秒でも10mbとかいくし、1分レベルになれば100mbぐらいになるのもある。 転送成功したか確認してないけどとりあえずスマホのメモリは即削除、とできるものもあれば、やっぱり消したくないと思うものも多々あります。 1分のあくびが出そうな動画もあれば、何度見ても悶絶するけれど数秒だけのものもあります。 けれど、1分と長いけれどこの長さ・一連の流れが大事なんだ!!というものもあります……orz 悶々としながら動画画像を消している時に ふと、メモリの容量をどんどん節約し、できるだけ短く、できるだけ面白いものを残す試みは、 人間の頭が忘れるものを取捨選択するのと似ている気がするなと思いました。 (人間の忘却は消去というより、zipファイルに圧縮するみたいなものですが) 長い時間をそこで過ごした筈なのにあまり覚えていないこともあれば、 数秒誰かを笑かしたことが今でも鮮明に思い出せることもある。 数秒の遣り取りだからこそ自分は忘れ相手は覚えている、あるいはその逆のやりとりもあれば、 じっくりやったからこそ覚えている、自信に繋がっていることもある。 いつもすべてを覚えているようじゃ今のことに集中しづらいから、追いやる。 けれどたまに忘れたことを、捨てたことを、後悔する。 記憶をもし人間が完全に取捨選択して忘却することのできる未来が来たら、外付けにだけ保管することができていたら……漫画小説映画では既にそういった話がありますが…… 人は更に目の前のことに頭のメモリを使えるのか。 それとも逆に、経験が人工的に消されているせいで言動の効率が悪くなってしまうのか。 どちらなんだろうと思います。 忘却を扱った話と言うと、 FQの、「忘れられた村の忘れられたスープ」→絶対記憶のおじいさん 記憶に追いやられた記憶 デモナの、絶対記憶の少女 「記憶」が完全にあるからこそできる役割 とあるの、→絶対記憶なのでメモリ足りない!消す!とされ続けていた少女 毎回毎回記憶を、心を殺している アルジャーノンの、「覚えていられない」ー手術→「覚えられる!」ー数年後→「最近どんどん忘れる」 覚えているから出来ることもあれば覚えているから出来ないこともある hero短編の、夢日記を付ける少年 夢を忘れないことは現実にどのような影響を与えるか プリズンの、超記憶の性能に誂えられた少年 トラウマが主観と第三者目線でずっと残る などなど、他にも記憶喪失系の話は沢山ありますが、 それぞれ忘れるメリットもデメリットもあるように思えました。 アルジャーノンに花束を、の中盤で主人公がした選択は、 一時的に大容量になったスマホが、経年でどんどん使える容量が擦り減っていく中で それでも新しく入れたいデータがある中で 「今まで必要だと思っていたけれど、もういいや」と、過去の執着ごとデータを置き去りにする ということと、似ている気がします。 何分の動画を消したら、次は何秒の動画。いたちごっこのような消去&撮影。 せせこましい撮影をする、画面越しの世界、などと揶揄されるパシャパシャ族ではありますが、 それでも、後で見直した時にやっぱり消したくないな、あるいはとっておいてよかった人に見せられる と思うことも結構あるので(特に近日の猫写真を意気消沈してる祖母に見せられた時など) 私には記録魔の性質をなかなか改めることは出来なさそうですが、 もう少し肩の力を抜ける生き方をするために、 「覚悟も後悔もしすぎない」諦めをできるようになりたいと思います。 話がずれまくった!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.05.10 02:03:09
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