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カテゴリ:煮
別に毒を吐くこと自体は、そう悪いことじゃないと思う。
毒を発する原因があると自覚できるから。 こじらせるよりはまだいいのかもしれない。 自分は我慢強いと自己暗示をかけるよりは。 だけど、毒を受け入れる、あるいは見ることも嫌な人は沢山いる。 だからこそ毒吐き用のプログラミングゲームがあったりする。 綺麗な人になりたいと思うとしても、綺麗な人にはなれない。 綺麗な人になろうとする姿勢は評価されても、綺麗な人でない部分がどろどろと渦巻く。 誰かそれをある程度埋めてくれる人、何かそれをある程度昇華してくれるものはあるけど、全部じゃない。自分でどうにかできるまでとっておいたら、いつのまにか手遅れになってしまっている場合もある。 特に、毒を持っていること自体を批判する人が毒を抱くこと自体を批判する人が、自分には果たせなかった理想を果たしてと言う人が近くに居る場合。 毒を持っていることが前提で通うお医者さん、には行けなくなる。 特にそういう人は外面を鍛えればなんとかなると思っているから。自分自身が外面ばかり鍛えていて、内面で満たされないものを抱えていて、人に押し付けているのに。 まずそういう場合にできることとしては、 1.押し付ける人の満たされない部分をある程度満たす 2.それにその人が集中している間に自分はちょくちょく外の…それも偏見がなるだけない場所で固有名詞の病名を言わずにどう辛いのか、どういう時に辛くなったのか、を相談する。 これがあるんじゃないかと思う。 1は、日々のちょっとしたこと、接し方でもある程度は満たせると思う。 できることを、やっていこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.04.16 10:03:49
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