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カテゴリ:脳
勉学する場所環境保障されてる癖にされてないやつも世の中にはいるっていうのに舐めてんの?
……まあやる気が出ないのもわかる、わかるよ。 学問の道の自由度高いもんね。どうすればいいのか分からないよね。……そして勉強がどれだけ大事か教えられてないからだよね。 最近資格試験のために頑張って勉強してる若者いるけどさあ、 資格試験終わったら学問なんぞ知るかってなるのってちょっと哀しくないかな? ……勉学の中で、本当にやりがいを持って生きがいとして研究したいものを見つけるほうが その為の基礎として勉強したほうが、いいと思うんだ。 まあ僕は別にそういう奴が全部悪いとは言わないけどね、誰かが勉強ってどんなものなのかを授業の受け手に教えられていたならちゃんとそういう子も頑張るだろうし、勿論やりがい生きがいがどうしても見付からなくて鬱になるっていうこともないだろうから。 だから、別に不真面目だからって停学措置とかいうものはなくていいと思ってる。 取締じゃなくて。しばらくこういう文章で伝えていきたいから、伝わってくれると思いたいから、ここで言うよ。 試験の外にこそ、世界を見て。 なんで研究の第一人者とか、僕たち年寄りが勉学を続けてきたのかを知ったとしたら。 勉学はやめたくてもやめられないものになるよ。 皆にそういう時が来ますように。 by朱子 ・朱子先生の作った大学試験の問題↓ 問1:今日まで諸君の学んだものと、将来の実践の抱負を聞かせてもらえるだろうか 問2:論語(バイブル)を最近諸君とともに読んだが、そこから読み取った ……またおそらく今日まで何かしら影響で受けたであろう「意」を、願わくば私に教示してもらえまいか。 …これが書けないようでは、諸君は道ではなく、利益のためにここに集ったといえるだろう。 ・朱子先生の授業で生徒がとったノート+α↓ 今日の学ぶ者に進歩がないのは「心ここにあらず」だからだ。 わしは若い頃、夜に鐘を打つ音を聞いた。しかしその一打ちが耳から去る前に心がどこかに行ってしまっていて、はっとしたことがある。 ……あ、宗教の道に目覚めたとかそういうわけじゃないぞ。心が鐘とかによって出たり入ったりしてしまう、わしの心の不安定さ、そしてそれにけりをつけねばならないことを自覚したのだ。 ・朱子先生の悩みの種in論語↓ ・遊「最近の学生たちは掃除、応答、身のこなしとかはできてるけど、根本的なところお前教えられてないじゃん。掃除とか応答とか身のこなしとかなんて、はっきり言って表面的な付属的なこと末節だろ」 夏「基礎と発展・結論がはっきりしてるのなんて聖人だけでしょう。 基礎から学ぶことしか認めないのは学生たちには酷ではありませんか。 基礎(振る舞いの理由)から入ろうが発展形(振る舞い)から入ろうが、学びになることは変わりません」 vs ・君子が人を教える時は身近な小さいことからはじめて遠く大きいことに発展させていきます。 →それがどれも繋がっていれば学びになる。 というか、身近な小さいことって、「基礎理論」というより「入口になる末節」のほうでないか? なので朱子としては末節から入って根本への階を上ることを推奨するよ なんか慶応の小論文でこういうの見たぞ・・・ 単位の為だけに授業頑張る人と重なるような気がします。 三浦さんの「朱子伝」より。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.07.28 16:30:22
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