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カテゴリ:煮
「何をすればいいのか」っていうのが分からない時に、
1.人に聞く 2.自分で考える どっちも手段としてある。 若さならどっちも許容されるけど、段々と 「人に聞かないで自分でやってみよう」 「自分だけで判断するのやめようか」 になっていく。 前者は聞いている相手が聞いている本人に伝えるよりも、実際に調べた方が早くて正確な情報を、より本人にそぐう形で与えられるかもしれないから。 後者は聞くことの出来る相手と本人がある程度伝達をしあう余地がある+実際に調べたりするよりも、実践例を、人の温もりとともに伝えられるし即時のレスポンス・フィードバックも可能だから。 ということでどちらも一長一短。 でも、歩き出さないと始まらないってのは同じ。 『それはおまえ次第だよ。 どっちへ行きたいか分からなければ、 どっちの道へ行ったって大した違いはないさ』*****ルイス・キャロル 「不思議の国のアリス」チェシャ猫より。 失敗するのを恐れるのは大事だけどせめて1歩進んだところで恐れるべきじゃないかな。 どっちの方向に進んでみたいかくらい1歩目は自分で決めるべきなんだと思う。 それができないのが調べ方向などが散漫になり過ぎて 「なにがわからないのかわからない」状態や、 否定され続けた時にありがちな 「なにをやりたいのかわからない」「最初は○○したいと思ってたけど、なんか途中からどうでもよくなった」 なんだよな…。 生徒・後輩として教えられる側でも、先輩として教える側でも、なるべくそうなることは減らしたいと思うんだけれど。 ただ、自分で調べるにしてもネットとか本とか、 人に聞くにしても先生に聞く・同級生に聞く・サークルやバイト仲間に聞く・親親戚や地元仲間に聞く・地域の一休みしている老人に聞く・他の担当の先生に聞くとか、色々な方法、色々な方向で調べることは出来ると思う。 ある程度集まったら一旦自分で推測して、推敲して、そこで更に「次にはここから何に繋げそうか」って感じで繋いでいけたら、そうしたらもうしめたもの。 ……これに続くためには、 ・小さな勇気を潰さない事、潰れないようにする事 ・相手を尊重する事(特に無表情な人でも色々考えている事)(ある程度表情出さないと伝わらない事もある事) ・上の条件を満たしつつもぐだりすぎないようにすること が、大事なのかな、と思う。 地球に来た異星人同士ががんばって共通地球語で話そうとしてる感があるようなコミュ障同士でも、異世代同士でも、異業種同士でも、何かしらで通じ合うことはできる…と…思う。 たとえそれが一瞬の輝きだとしても、それがずっと心の支えになって辛い時を乗り切って、そうして終わった後の打ち上げに一緒に行くっていうことだってあるから。 …がんばろう。 取り敢えずそれを実感させてくれた後輩ちゃん(消極系)とアントニー教授(有名変人教授)、ぐう聖ハンカチ王女先輩(コミュ充)に感謝。最終更新日 2017.02.04 08:09:33 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.02.10 02:09:22
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