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テーマ:徒然日記(23016)
カテゴリ:雑感・随想
承前
日露戦争でのこと。 上村彦之丞が撃沈させた敵艦リューリックの海面に漂う乗組員六百二十七名を助け他の敵艦二隻を追撃しなかったことを「宋襄の仁」であると言ったのを『坂の上の雲』司馬遼太郎は秋山真之とし、『日本捕虜志』長谷川伸は佐藤清勝としている。その違いは、というところまで前に書いた。 その続きを波2011年2月号『長谷川伸と日本人 第十四回 「捕虜」への眼差しのちがい(山折哲雄)』から、引く。 【「捕虜」を見る眼差しが、長谷川伸と司馬遼太郎とでは違っていたとみるほかはないだろう。先の「リューリック号撃沈」の戦闘を総括する場面で、上村彦之丞の「宋襄の仁」にたいする批判者の立場に秋山真之を擬したのもうなずけるのである。長谷川伸の眼差しが捕虜の身の上に静に注がれていたとすれば、司馬遼太郎の目は、やはり明治開化期の気流にのった「坂の上の雲」にむかって見開かれていたことが分かる。】 だが、その二人の相違は、日本が置かれた状況の違いにより自ずから来るものではないかと。司馬遼太郎が時の経済人や一般サラリーマンに受けたことにもその背景が確かにある。 平成二十三年三月十一日以降日本にとって長谷川伸の存在は何かを齎してくれるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.23 20:20:45
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