再び『タタド〈小池昌代)』です。
『タタド〈小池昌代)』50代の男女4人の物語。二人は夫婦。夫はイワモト、妻スズコ、夫の仕事仲間タマヨ、妻の元の仕事仲間オカダ。イワモトの海辺の家に4人が集う。――なんの音。タマヨが聞いた。――夏みかんかな。イワモトが庭を見ないで言った。(庭に)大きな夏みかんの木があった、猿の頭ほどの実が五十も六十も、数えきれないほどぎっしりついている。 すっぱいものの好きなイワモトが、あるときもぎとって食してみたところ、それは都心のスーパーで安売りしているような水気の少ない貧弱なやつでなく、果汁のしたたるみごとな果実だった。ただ、すっぱい。ほんとうにすっぱい。 スズコはこりて、もう食べない。しかし、イワモトは狂ったように食べる。 さて、わが家内の実家の庭にもこれに似たみかんの木がある。夏みかんではない。採れる時期は、冬だからだ。すっぱいということでは、かなりすっぱい。初めのうちは誰もすっぱくて食べなかった。その実でママレードを作った。それが美味であった。だから、毎年ママレードは作られる。みかんは大きなバケツに3杯くらいは採れる。ママレードも大きな壜〈インスタント珈琲の壜〉に詰めたりして、遠方にいる子どもや親類や知り合いに配られる。ある時から、すっぱいとは言うものの、その果実の美味しさは他になく、実を食べることにした。確かにすっぱいが慣れてくれば、そのすっぱさが旨さに変わる。だから、今では直接食べる分と、ママレードになる分が半々になった。そういう、みかんの木が近くの家内の実家にある。それは、贅沢なことだと思う。さて、『タタド』である。風が出てきて、客は泊まることになる。一夜が明ける。その後、4人の決壊が始まる。その時の、音楽がI think it’s gonna rain today,ノルウェイの歌手、シゼル・アンドレセン。水気を含んだ重い歌声が、女たちの暗い子宮を満たすようにひろがる。タマヨがすっと立ち上がり、リビングのまんなかまでいくと、そのまま音楽にあわせて踊りだした。腕をだらりとたらし、脱力している。オカダが夢遊病者のように立ち上がって、タマヨのそばへ寄っていった。ふたりは海藻のように、寄り添って踊っていたが、やがて、ごく自然なかたちで身体を密着させた。スズコも立ち上がって二人のそばへゆく。〈中略〉やがてイワモトも立ち上がって、三人のそばへ寄り添った。〈中略〉何かが決壊したとスズコは思う。それで、『タタド』は終わる。寡聞にして、シゼル・アンドレセンを知らなかった。北欧のJAZZは昔から、ある地位を築いており、アート・ファマーには『スウェーデンに愛をこめて』がある。10年くらい前には、SWEET JAZZ TRIOがある。その北欧のJAZZと、決壊の関係を知りたいと思う。そのためには、シゼル・アンドレセンを聞くことなのか?