カテゴリ:世に棲む日日
WHATSMAN@NNN
ボランティア。 俺はこういうものに マジで興味がなかった。 それが、スゲエこと とはいわないまでも、 プラスの印象のあるもの という認識はあったため、 就職の際の面接試験では、 「阪神大震災が起こったときには、 いてもたってもいられなくなり、 トモダチと兵庫県まで行って、 パンを配るといった配給の手伝いなど ボランティア活動をしたことがあります」 と、嘘800を並べたてこともあるが、 当然のことながら、 はー、大変やのー と思う程度、ナンもしなかった。 偽善やねえか、 という気持ちもあったし、 ワシは痛まない@兵動/カイジ という考えもあった。 たぶん俺のような考え方をする人は 結構居るはず。 で、最近、視点を変えてみた。 困っている人のためにするのではなく、 俺自身のためにする。 偽善という部分は代わりはない。 自己満足といってしまえば、 もうそれ以上でもそれ以下でもない。 ただ俺が思うのは 誰かを助けた、という俺の気持ち。 この気持ちで、 それなりの満足があるはず。 一般的な感覚としても、 人助けをすれば、気持ちがいいってのは、 共感する部分があるんやねえかと思うし、 感謝されれば、 大抵の人は、嬉しいはず。 その気持ちよさと、 その嬉しいを求めて、 ボランティアをする人がいてもなんら不思議はない。 俺の最近の考えでは、 偽善、でまったく問題ない。 それで、人が助けられとるのが事実であれば、 当人の腹の中の感情は別にどうでもいい。 自分にしか分からんこと。 結果として、後で足元をすくってやろう、 とか、その後でマイナスな要素がなければ、 偽善でおおいに結構。 人助けについては、 この辺が俺の出した結論なんだが、 片手間にする人助けと、 それこそマザーテレサのような 人生をかけた人助け、 そこまではなくても、 NPOとかNGOとかに属したりして、 完全なる非営利で行う、 マジのボランティアを行う人も居る。 NPO等の団体の中には、 かなり眉唾なものも多いようだが、 そういうのは省いて、 マジな団体に属して、 自分の時間を費やし、ボランティアに励む人。 俺にその選択肢はなかったわけだが、 生きる目的、として、 そういう道を選ぶ人がいても不思議ではない。 時機に34歳を迎える俺だが、 どういう人生を歩むべきか、 について考えたとき、 何かを成し遂げる、とか そんな大きなものを目指さなくても、 俺は多くの人のために役立った って思うことができれば、 死ぬ間際に、自らの人生を省みても 満足できそうな気がする。 悪くねえかもしれん。 当然ながら、 俺がその道に進むつもりは いまはまったくもってないわけだが、 ここまでの思考の流れがあったわけで、 ボランティアというものに、 肯定的になったし、 たまにはいいかもしれん、 という思いには至った。 自己満足、という表現をしたが、 それとは別に、 「生き物としての原則さえ超越したある欲求・・・・・、 ただ・・・・・・、ただ・・・・・・、目の前の・・・・・ 目の前の人間を救いたい・・・・・・という欲求・・・!」@カイジ というのも確実にあるはず。 その正体がなんなのか、 自己満足なのかもしれんが、 理屈を超越した部分で、 そういう思いもあるのかもしれん。 すべての各自の価値観で、 だれも他の価値観を否定することはできないわけで、 俺は生涯で100億円稼いだ というヤツも居れば 俺は生涯で100人の命を救った というヤツもおる。 結局は、自分の人生として、 どこで満足をするか、 ってことにつながるのかもしれん。 誰にも感謝されない 隠れた人助け等をできる人は マジでホンモノやろう。 やはり、感謝されたい@堀田墓穴。 情けは人のためならず ともいうしで、 今後、ちょっとは社会の役に立つことを 考えてみようと思ったりした。 今日はこれで。 ピース。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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