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「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(上)」ダニエル・カーネマン(村井章子訳)(ハヤカワ文庫) 2002年のノーベル経済学賞を受賞した、心理学者・行動経済学者の著書。知り合いから進められて読み始めましたが、上巻だけで400ページを超える大作。非常に面白かった。自分で考えている・・・というごく普通の感覚の足元がグラグラと崩れていきました。 P20 「『スティーブはとても内気で引っ込み思案だ。いつも頼りにはなるが、基本的に他人には関心がなく、現実の世界にも興味がないらしい。もの静かでやさしく、秩序や整理整頓を好み、こまかいことにこだわる。』さてスチーブは図書館司書でしょうか、それとも農家の人でしょうか?」本書を読み終えた今なら、ステレオタイプに左右されて図書館司書だと答えてはいけないことを学んだ。「あなたは、アメリカでは男性の司書一人に対して農業従事者は二十人以上いるという事実を思い出しただろうか。」と続き、本書で取り扱う、ヒューリスティックスに頼るとバイアスのかかった答えに導かれることを冒頭で紹介する。 P85 「すべてのバラは花である。一部の花はすぐにしおれる。したがって、一部のバラはすぐにしおれる。」即断を迫られた場合に、多くの人がこの三段論法を正しいと考えてしまうのは、もっともらしい答(だって、バラはすぐにしおれるじゃないか)がすぐに思い浮かび、それを打ち消すのは至難の技だからだという。本書では脳の中にある二つのシステムについてまず学ぶ。速い思考(システム1)と遅い思考(システム2)だ。システム1が衝動的で直感的なシステムだということ、システム2が論理的思考能力を備えてはいるが怠け者であることをそれぞれ第2章、第3章で学ぶ。「たいていの人は結論が正しいと感じると、それを導くに至ったと思われる論理も正しいと思い込む。」これはシステム1の特徴だ。 P97 「ヒュームの頃から進歩した点の一つは、意識的な観念が一つずつ順番に扱われるとは考えなくなったことである。現在の見方では、大半を同時に扱うと考えられている。すなわち、活性化された一つの観念は、別の観念を一つだけ呼び覚ますのではなく、多くの観念を活性化し、それらがまた別の観念を活性化する。しかも、意識に記録されるのは、そのうちのごくわずかでしかない。連想思考の大半はひそかに進行し、意識的な自己からは隠されている。」 P124 「単語や写真があまりに短時間で反復され、何か見せられたことに気づきもしないような場合ですら、この効果(註:単純接触効果)は認められ、結局はいちばんひんぱんに見せららた単語や写真ほど好きになる。」「この印象を形成しているのはシステム1であり、そのことにシステム2は気づいていない。」この効果を研究してきたザイアンスは、この効果は生物が生き延びるのに必要なもので、長い進化の歴史で獲得されたものなのだろうと解く。 P145 「自分が見たものがすべて(WYSIATI)」というシステム1の「性格」をよく表す例示として、2つの手書き文字が示される。「ABC」と読める文字と「12 13 14」と読める文字だ。ただ巧妙に書かれており、「B」と「13」は全く同じである。この場合、我々が「A13C」と読まなかった、いや読めなかったのはシステム1の働きだ。「全体の文脈が個々の要素の解釈を決定づけたのである。」 P177 「複雑なことにも私たちがなぜ直感的に意見を言えるのか、私から明快な説明を提案しよう。難しい質問に対してすぐには満足な答が出せないとき、システム1はもとの質問に関連する簡単な質問を見つけて、それに答えるからである。このように代わりの質問に答える操作を「置き換え(substitution)」と呼ぶ。ここではもともと答えるべき質問を「ターゲット質問」、代わりに答える簡単な質問を「ヒューリスティック質問」と呼ぶことにする。例えば「絶滅危惧種を救うためにいくら寄付するか?」というターゲット質問に置き換えられる「ヒューリスティック質問」は「瀕死のイルカを見かけたらどんな気持ちになるか?」という具合だ。 P180 「メンタル・ショットガンとレベル合わせの自動処理によって、多くの場合ヒューリスティック質問に一つ以上の答が出てくるから、それをうまくターゲット質問に当てはめればいい。置き換えがうまくいけば、ヒューリスティック質問に対する答えにシステム2がゴーサインを出すだろう(註:怠け者なので・・・)。(中略)直感的な答がすぐさま浮かんできたのだから、ターゲット質問が難しかったことにさえ気づかないだろう。」 P183 ある実験から「あなたは最近どのくらいしあわせですか? あなたは先月何回デートをしましたか?」この質問の場合、両者の相関はほぼゼロだったらしい。一方、「あなたは先月何回デートをしましたか? あなたは最近どのくらいしあわせですか?」と質問の順番を変えた場合にはかなり高い相関性を示したそうだ。ここから言えるのは「デート質問で呼び覚まされた感情が学生の頭にまだ残っていた」ということだ。「答が用意されている質問に答えたわけである。」 P196 彼らが提唱した「少数の法則」について。「おはじきには、腎臓ガンを表すKCという文字が印字されている。あなたはおはじきを取り出しては、各郡に割り当てて行く。農村部の郡(人口の少ない郡)に割り当てるおはじきの数は、他の郡より少ない。そこで(中略)極端なケース(ガンの出現率がきわめて高い、またはきわめて低い)は人口の少ない郡に見受けられる可能性が高くなる。これが、出現率の説明のすべてである。」 P208 ホットハンドの誤謬について。「もちろん、シュートを正確に打てる選手とやや劣る選手はいる。だが入ったシュートと外したシュートの順番は、完全にランダムであることが確かめられた。ホットハンドの存在は、ランダム性の中にすぐさま秩序や規則性を見つけ出してしまう目の迷い(註:認知的錯覚)に他ならない。」 P228 プライミング(先行刺激)効果とは「たとえば、『食べる』という単語を見たり聞いたりした後は、単語の穴埋め問題で”SO□P”と出されたときに、SOAPよりSOUPと答える確率が高まる(P98)」といったものだ。「プライミング効果に関する研究から得られた貴重な教訓は、私たちの思考や行動がその瞬間瞬間の状況に、自分が気づいている以上に、あるいは望む以上に左右される、ということである。」同じことがアンカリング効果についても言える。「とはいえ、あなたにもできることはある。何らかの数字が示されたなら、それがどんなものでもアンカリング効果を及ぼすのだ、と肝に銘じることである。そして懸かっているものの金額が大きい場合には、何としてもシステム2を動員して、この効果を打ち消さなければならない。」 P232 利用可能性ヒューリスティックが形成するバイアスについて。例で示すとわかりやすい。「注意を引きつけるような目立つ事象は、記憶から呼び出しやすい。たとえば、ハリウッドのセレブの離婚や政治家の浮気スキャンダルなどはこれに当たる。そこであなたは、映画スターの離婚や政治家の浮気の頻度を多めに見積もりやすくなる。」 P249 感情ヒューリスティック。「メリットを強調するメッセージを聞いた参加者は、その技術に対するリスク評価まで変えてしまうのである。リスクに関して何か新たな情報を知ったわけでもないのに、いまや前より好きになった技術は、前ほど危険には感じられなくなった。」「感情ヒューリスティックは、白黒のはっきりした世界をこしらえ上げて、私たちの生活を単純化する。」 P269 ニューヨークの地下鉄の中で、ニューヨーク・タイムズを読んでいる人は「博士号を持っている」、「大学を出ていない」、どちらの可能性が高いだろうか。「代表性からすれば博士号を選ぶことになるが、その選択は必ずしも賢明とは言えない。ニューヨークで地下鉄に乗る人は大学を出ていない人の方がはるかに多いのだから(後略)」。「代表性の第一の罪は、起こりそうにない(すなわち基準率の低い)事象を、きっと起こると思い込むことである。」 P273 ここには代表性などの直観を制御するための方法、つまりベイズ統計についての説明がある。「たとえばあなたは、大学院生の3%(基準率)がコンピュータ・サイエンス専攻だと考えているとしよう。そしてトム・Wの人物描写(=証拠)を読んだ後に、コンピュータ・サイエンス専攻の可能性は他分野より4倍高いと考えたとする。するとベイズ・ルールにより、トム・Wがコンピュータ・サイエンス専攻の確率(事後確率)は11%になる。」基準率を無視しなければ妥当な判断ができるようになるわけだ。 P281 これも面白い。あるもっともらしい人物描写を与えられた後に、「リンダは銀行員である。」「リンダは銀行員で、フェミニスト運動の活動家でもある。」のどちらの可能性が高いか聞かれると、後者を選んでしまう。連言錯誤(conjunction fallacy)と呼ぶそうだ。ベン図を考えれば、間違うはずのない質問にも関わらず、ストーリーがマッチすると判断を誤る。 P296 ひき逃げタクシーの問題も面白い。市内を走るタクシーの比率が全く異なる(基準率が異なる)のに、目撃証言だけで判断を下してしまう。ベイズルールに則れば、ましな判断ができるにも関わらず、「因果関係が大好きな脳は、統計的事実から何の感銘も受けない。」しかし過去に起きた事故の統計を聞かされると事態は一変する。統計的基準率は無視され、因果的基準率はステレオタイプ化し、容易に利用されうる。 P311 ここから始まる「平均回帰」の話は、この本の中で最も考えさせられた話かもしれない。「教官が訓練生の操縦を誉めたときは次回にへたくそになり、叱ったときには次回にうまくなる。そこまでは正しい。だが、誉めるとへたになり、叱るとうまくなるという推論は、完全に的外れだ。教官が観察したのは『平均への回帰(regression to the mean)』として知られる現象で、この場合には訓練生の出来がランダムに変動しただけなのである。教官が訓練生を誉めるのは、当然ながら、訓練生が平均をかなり上回る腕前を見せたときだけである。だが訓練生は、たぶんそのときたまたまうまく操縦できただけだから、教官に誉められようがどうしようが、次にはそうはうまくいかない可能性が高い。(中略)tまりベテラン教官は、ランダム事象につきものの変動に因果関係を当てはめたわけである。」 P322 「フランシス・ゴルドンは、数年におよぶ悪戦苦闘の末に、相関と回帰が別々の概念ではないことに気づいた。両者は、同じ概念を別の角度から見たにすぎない。この単純明快な発見は、驚くべき結果をもたらした。二つの変数の相関が不完全なときは、必ず平均への回帰が起きるということである。」これに関して、さらに・・・。「非常に頭のいい女性は、自分より頭の悪い男性と結婚する。」ここに因果関係を持ち込みたくなるのが人の常だが、この文章と数学的に等価な次の文章に我々はどう反応するだろうか。「夫と妻の知能指数の間には、完全な相関関係は認められない。」(笑) 平均への回帰はネットでも色々記事があるね。https://tjo.hatenablog.com/entry/2013/04/16/190654、これなんかは面白い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年09月22日 19時26分48秒
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