カテゴリ:教育、子育て、自転車旅行
私にはそうとしか思えないし、多くの学校被害者の方々もそんな気持ちだろう。
「このいじめをどうするか」と問うても、教育関係者は「まともな学校のふりをしたい」なのである。 論点が噛み合わないどころの話ではない。 何度も言っているが、何事も起こっていないときに「いい先生ね~」なんてのは掃いて捨てるほどいる。そんなときの話をしているのではない。問題は有事の際の化けの皮が剥がれたときのことだ。 数少ないまともな教育関係者が腹をたてるのであれば、怒りのベクトルは卑劣な同業者に向けてほしいものだ。 根本的に自分より年端のいかないものに、ものを教えるだけで給料をもらう仕事だ。私とて公立小学校の教師ごときに頭がいいだとか、聖人君子でいてくれとか、そんなことを要求していたわけではない。だが、子どもにものを教える立場、職業のものが、根性が腐っているのはまずいだろ。卑怯者なのはまずいだろ。都合悪くなると嘘八百を並べたり隠蔽するのはまずいだろ。 そういうことだ。 暴れる子どもは放置しておきながら、真面目でおとなしい子どもには暴力まがいに威張り散らす。塀に囲まれた空間で起こった酷いことをいくらでも隠そうとする。自分達に都合よく管理することを最優先にし、管理できていなくても管理できているふりをするためには手段を選ばない。その自己中心的な利己的な考え方、ふるまい…今までの学校制度自体が卑怯なものだったことを潔く認めなければ、先には進めないだろう。 法律や制度、定義を新しくしたところで、今まで卑怯だったものが正直になるのか? 私はかなり以前から言っていたのだが、もはや、教師のできることなんて、「うちの生徒がうちの生徒をいじめています」と正直に警察に通報することくらいだよ。 せめて、嘘をつくな! 「教育関係者は“卑怯者”という別種の生き物である」 「怒りのベクトルは卑劣な同業者に向けなさい」 「せめて、嘘をつくな!」 もう、学校制度なんてやめるべきだ。どんな制度も必ず劣化する。この制度を決定的に腐らせたのは、当の教育関係者どもである。人のせいにするな。“自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ” 時代遅れであり、寿命なんだよ。 個人では責任を負おうとはしない。個を特定させることを極力拒む。そのくせ、組織全体で責任を負うこともしない。そんなバカなこと、ないだろ。 個人叩きじゃなくて、全体叩きのほうが親切でしょ。 ありがたく思ってよ。 「教育関係者とは“卑怯者”という別種の生き物である」 言われても仕方ないじゃないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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