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日本を今一度、洗濯いたし申し候

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hitokijin

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2011年02月20日
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 昨今戦国時代のドラマを見ると、秀吉がお調子者の強欲なペテン師の様に描かれる事が多い。しかし、本当にその様な人物があの様な偉業を成し遂げられたのだろうかと不思議に思います。人を治めるには武力や財力だけでは安定した政権を築くのは難しく、必ずその為政者の人柄と言う物が不可欠だと思います。現代に置き換えれば、堀江貴文の様な金だけで全てを動かしていた人は、自ら逮捕された時に、身内が色々証言し誰もかばってくれませんでしたね。力だけでは人を治められません。力に加えて、臣下を思いやる器の大きさは必ず必要になります。

 秀吉の人柄を思わせる歴史事項は色々ありますが、次の通りです。

1.元々自分より身分の高い人が軍門に下った(前田利家、丹羽長秀など)

2.秀吉死後18年間、徳川家が優勢になっても豊臣家を慕う大名が多かった。(福島正則、加藤清正など)。欲得だけでこんなことが出来るでしょうか。

3.天下統一後も織田家、足利将軍家、朝廷を保護した。(徳川家康は前政権の豊臣家を潰した)

 秀吉が天下を取れた背景には、もちろん根回しや策略は多くあったでしょう。明智光秀との戦いには「信長公はご存命」とのデマを流し、見方を多く付け勝利に繋がったという事実はあるでしょう。しかし、やはり「この人なら着いていける」と思わせる人間的な魅力が十分にあったのでしょう。だから、丹羽長秀のように、身分の高い人が軍門に下るということが起きたのでしょう。更には織田家の人々も多くが秀吉の保護下にほぼ無抵抗で入っています。元々身分が低く、人間的にやらしい人に出来ることだとは到底思えません。何と言っても、秀吉亡き後も、秀吉に恩義を感じ、秀頼に忠義を尽くした大名が多く居たと言うことです。

 

 秀吉と言う人物は、恐らく次の徳川政権によって徹底的に名誉を奪われたのではないかと思います。豊臣家滅亡後も、豊臣家に関する建造物は悉く破壊されました。また江戸時代を通して、秀吉を讃える書物はご法度だったと聞きます。豊臣家に対する人望を恐れた徳川家が徹底的に豊臣家を否定することで自らの政権の安定化を図ったのだと思います。

 

秀吉と言う人物は、本当に興味深い。今の大河ドラマ「江」で描かれているようなペテン師では絶対になかったはずです。私は秀吉について、もっと深く知りたいと思っているところです。






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Last updated  2011年02月20日 21時30分57秒



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