松戸駅から酒場求めて遥々と
松戸と別れを告げたつもりになっていながら、未だに解放されておらぬというのはみっともない事である。例えばかつては深く愛し合ったこともある二人が何年ぶりかにかつて二人で見た事のある映画のリバイバル会場で偶然に再会したとする。瞬間かつての思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡るけれど、彼と彼女にはすでに家族がいたりする。やむを得ない事情により別れ別れとなった二人の胸中いかなるものか。しかし、上映が間もなくであることを告げるベルが鳴り響くと、そっと視線を落とし別れを告げたのであった。ところがそれからそう経たぬうちに近所のファミレスでヒステリックに娘に怒鳴りつける彼女とセーラー服の娘に寄り添われた彼が出会うなんてことがあったりするようだ。つまりこのくだらぬ話で語ろうとしているのは、別れなどというのは常に訪れるものなのだから、己を物語の主人公であるかのように語ることは禁物ということであります。現代にあっては、己をヒロイックに語って酔いしれるなどというのは、喜劇でしかなく、滑稽さを表明することにしかならぬだ。自戒の念を込めてこう記しはするけれど、こういう相対化を欠いた思い込みの激しい文章というのは書き易い、嫌それどころか溢れ出て留まらぬ言葉の奔流に筆が追いつかぬのです。筆じゃないだろうとかいうツッコミすら入れる余裕すら失してしまうのです。 長く無駄なことを書いてしまいました。とにかく今生の別れとは書かなかったけれど、無沙汰を余儀無くされるようなことを書いた松戸で気になる酒場を知ってしまったものだからまたもや足を運んでしまったのです。それは同乗させてもらった車中から目撃したのです。しかし駅からは結構な距離がある。もしそこが閉店してるとか休みだったりするとかなりの痛手を受けてしまうのは間違いない。しかし知らぬ町を行くことににわかに旅人気分になったぼくは果敢にも駅から遥々と江戸川を渡す葛飾橋のたもと近くまで到達したのでありました。 店名すら知らなかった「季節料理・串焼 いなほ」は、呆気なくも当たり前のような素っ気のなさで明かりを灯していました。いやいや、酒場なんてものに哀愁やら悲哀を語るのは演歌だけで十分だと分かってはいるつもりです。しかしそれにしてももう少し余韻のようなタメがあってもいいんじゃないか。しかしそれにしても駅からこんな遠い場所で商売は成り立つのかという問いに、近頃はさっぱりねと女将さんは答えるのでした。小上がり2卓にちょっとくねったカウンターだけの小さお店です。そんなことないわよ、奥に20人入る座敷もあるのよだって。お酒別で千円から宴会してもう事もできるわよ、まあこれまで40年以上やってるけど千円でやった方はいないけど。じゃあ、その第一号に名乗りを上げようかと言うと、どぉぞ、いつでも大丈夫よ、週に2日はお手伝いの子も来るからとのこと。おやおや、案外繁盛してるのかしら。すずきの南蛮漬けとは珍しいし、大体において南蛮漬けというのは大概どんな魚だって旨くなるからまあ間違いはなかろう。それ美味しいでしょ、骨が多くて食べにくいけど、釣ってきたばかりだから新鮮なのよね、って誰が釣ってきたんだろう。如才なく溌剌とした女将さんの気持ち良い居酒屋にすっかり満足したのでした。 ここで駅の方に引き返します。途中、木造の掘っ立て小屋というかバンガローみたいな焼鳥屋らしきものがあることは以前から知っていました。「鳥まつ」という屋号があるのはこの夜初めて知りました。いわゆる敷居の高い店とは違うのだけれどどうも入りにくいオーラが漂っています。何がどう入りにくさを演出しているのか、ハッキリしたことは分からぬのですが、説明にはなりませんが常連ばかりな気がするのです。まあ躊躇う時間は無駄です。ガラリ戸を開けるとピグンとオッチャンが反応します。お客風のちょっと派手なタイプの方はお店の方だったようです。後で聞いたところによるとご夫婦らしいのですが、おっとり旦那にちゃっきり奥さんは案外お似合いなのかも。お通しのゆで鶏は鶏肉の味もしっかりしていてなかなかおいしい。手羽餃子を羽根つき餃子と思って頼みましたが、久しぶりに食べたそれはなかなか美味しい。非常にジューシーなのです。もしかするとハナマサの冷凍かもしれんけど美味けりゃどうでもいいのだ。そのうちそらそら集まりだしました。常連感剥き出しのちょい悪兄さん。この彼氏がすごくて、酒呑みの宿命であるγ-GTPの数値がなんと1,000だったか2,000あったらしいのだ。よく死ななかったもんだ。もっともぼくの知人にはさらに上がいて、8,000とかあったらしい。それが歯医者というのだから絶句してしまうのであります。さすがに、医者に即入院を命じられ半年のアルコール断ちを余儀なくしたのですが、今では何事もなかったかのように酒を呑むのを目にしました。といったわけで、はじめは危なっかしい印象でしたが、案外というかかなり手頃でいいお店でした。 松戸伊勢丹まではまだ当分歩くのですが、「枡屋 分店」は店を閉めたばかりのようです。ここは蕎麦屋ですか呑みにも使えそうなので遠からず来なくてはなるまいな。