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カテゴリ:京都旅行
コンチキチンと呼び親しまれている祇園囃子は室町末期からの神を迎えにいくための「渡り囃子」と町内に帰りつくまでの「戻り囃子」とがあり曲目は各鉾独自で30曲近くあるそうだ、 私には皆同じに聞こえるが・ 八坂神社のお祭りである祇園祭は京の都に疫病が流行した貞観十一年(869)に神泉苑に66本の鉾をたてて祇園の神を祀り疫病退散を祈願したのが始まりであるが今日のような様式に定着したのは応仁の乱後、 明応九年(1500)以来とされている、そのなかでも山鉾巡行は町衆が財を投じ長い年月をかけ作り上げた各山鉾の豪華な装いが「動く美術館」と評されています 祇園祭りは七月一日に吉符入りに始まって31日の疫神社 夏越祭まで一ヶ月に渡ってさまざまな行事が行われます。 この夏の暑い時期に京都人は凄い!と思いますね 神域の結界を示す注連縄を長刀鉾の稚児が太刀で切り落とし、結界を解放つ。これにより各山鉾は神域へ進むことができるのである エンヤコラーと掛け声が響き32基の山鉾が出発。市内のコースを巡ります。う~~ん!豪華絢爛!まさしく動く美術館です 山鉾は釘をいっさい使わず四本柱に貫や筋違で胴組を組み立て荒縄で縄絡みと呼ばれる伝統的な技法で行うので目の前に来るとギシギシ!ガタッ!と すごい効果音!その度におーっとかわーっとか拍手!ん~~凄い!
渋滞の中、やっと御池通りの観覧席へ。ここは事前に観光協会に申し込んでおいた席で日よけ帽子と団扇、雨合羽が頂けます 待つこと1時間先頭の長刀鉾がやってきました、巡行は室町時代よりくじ引きで順番が決まってますがこの長刀鉾はくじとらずで毎年必ず巡行の先頭に立ち生稚児が乗るのもこの鉾だけである、鉾先に大長刀をつけていて疫病邪悪をはらうもとされている 目の前で音頭取りが前のめりなり踊るのを見ながら壮大なお祭りと 雰囲気にやっぱり京都は雅やわ~~~~ 心配していた雨も降らず涼しくて最高 と・・・なぜか粋な姉さんが歩いてる!?女性は祭りには参加できないずだけど さてそろそろ昨夜のお母さんとの約束の時間!待ち合わせ場所へ・・・・放下鉾がやってきたので一緒に巡行の列のなかへ進入してお弁当の差し入れへ、鉾からロープが降りてきて差し入れを結び上から引っ張ってもらいお礼にちまきを投げてくれます う~~~ん祭りに参加している気分です するすると上手に上がっていきます、結構重いんですよ 投げて頂いたちまきです、八坂神社のご祭神が蘇民将来という民に「子孫を疫病から守る」と約束したことにちなみ「蘇民将来子孫也」と書かれた護符がついてます、これは各山鉾に由来したちまきもあります、ちまきは邪気を払い災難除けとして翌年の祇園祭まで門口に吊るします、昔は巡行の鉾からまかれてそうですが危険防止ということで今はやってません、なので投げて頂けたのは貴重なんです 約三時間ほど見学して大満足!今年の祇園祭は最高でした 余談になりますが1ヶ月の祭りの最後の行事、疫神社祭で蘇民将来を祀る茅の輪をくぐります、蘇民将来の信仰はここから全国に広まったようで歴史は大変古く、長岡京遺跡から木札が発見されてるそうです 蘇民将来 茅野輪くぐりは全国で聞かれますが八坂の神様 武塔天神(スサノオウノミコト)が南海への旅の途中で裕福な巨旦将来と貧しい蘇民将来に一夜の宿を求めたところ巨旦は断り弟の蘇民はあたたかくもてなしたそうで感謝した武塔天神が蘇民の子孫には疫病の厄を免れさせるよう約束してそのしるしに腰に茅の輪をつけさせたのが粽(ちまき)のおこりと言われる 一説には武塔神が巨旦に復讐に行き蘇民の娘が巨旦の妻であることを聞き蘇民の娘に茅の輪を目印につけさせて妻以外の巨旦家を滅ぼしたとか・・・ 神様が復讐なんかしちゃだめですよね 最後まで読んで頂いてありがとうございます
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