G. R. Owst, Preaching in Medieval England. An Introduction to Sermon Manuscripts of the Period c.1350-1450, Cambridge, 1926 (2010)
著者も前書きの中で、「説教の主題に関する最初の導入」ということを言っています(p.xii)が、本書は今なお参照される、中世後期イングランドにおける説教活動に関する古典的文献です。
本書の構成は次のとおりです。(のぽねこ拙訳。本当に拙いですが…。)
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シリーズ全体の前書き(G. G. Coulton)
著者前書き
第1部 説教師
第1章 「司教と助任助祭」
第2章 修道士と托鉢修道士
第3章 「放浪する星」
第2部 説教の舞台
第4章 「荘厳ミサの中でInter Missarum Sollemnia」
第5章 「十字架の場で」そして「行列の中で」
第3部 説教
第6章 説教文学とその類型
第7章 手引書と概論
第8章 説教作成、あるいは聖なる雄弁の理論と実践
付録
索引
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第1章は誰が説教できるのかという問いかけから始まり、ロマンのフンベルトゥスという人物が女性による説教を不可とする議論を展開していることを紹介(p.5)したうえで、表題にある司教と助任司祭による説教を、何名かの人物を取り上げて具体的に論じます。
第2章は、まず修道院で祈るのが中心である修道士の説教について簡単にふれたのち、説教活動を主に展開した托鉢修道士の説教活動を、ジョン・ウォールドビー(Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015参照)などの人物を取り上げて具体的に論じます。
第3章は、説教師による誤った免償などについてみたのち、説教を行った隠修士などについて論じます。
第4章は説教が行われる時期として、ミサ、四旬節、教会会議の場などを挙げ、教会建築の一部としての説教壇について論じたのち、説教の中の聴衆の反応―居眠り、おしゃべり、邪魔、拍手など―という興味深いテーマについての議論を展開します。
第5章は説教が行われる場として、教会や墓地の象徴的な「十字架」と、行列の2つを中心にみていきます。
第6章は、説教の言語の問題(ラテン語か俗語か)にふれたのち、説教史料の類型として、聖節説教集sermones de tempore、聖人祝日説教集de sanctis、身分別説教集ad status、葬礼説教集、大学説教などを挙げ、それぞれについて論じます。
第7章は説教作成の補助手引きとしての、美徳悪徳に関する概論、詞華集、例話集などについて論じます。
第8章は説教の構造(主題、副主題、分割……。たとえば、Th.-M. Charland, Artes praedicandi: Contribution à l’histoire de la rhétorique au Moyen Âge, Paris-Ottawa, 1936を参照)についての議論です。
私が専門に勉強している時代・地域ではないのでかなり流し読みとなってしまいましたが、説教研究の古典的な著作であり、このたび目を通すことができてよかったです。
(2021.11.24読了)
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