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カテゴリ:書評
○狂気沙汰ともいえる「反小沢」いわゆる「政治とカネ」のキャンペーンが最近になって影をひそめてきました。時代は変わりました。
○無責任、傲慢なメディアによるネガティブキャンペーンは、「民主党」「議会政治」そして「小沢一郎という人間」に対する従来以上の関心と共感を呼び起こしています。 理不尽な「検察とメディアによる集中攻撃」を受けなければならない小沢一郎という人間は、彼らの恐れるなにかを持っている人間にちがいないと思えるからです。 ○そういう問題意識で平野貞夫著「わが友・小沢一郎」を読んでみました。 自民党、新生党、新進党、自由党、民主党と、一貫して小沢一郎とともに歩み、議会運営と立法過程に精通する政治家としての評価の高い著者が、小沢一郎の人間像、政治に対する考え方をわかりやすく解説しています。 1.検察ファッショによる「小沢潰し」の謀略 平成21年(2009)大久保隆規公設第一秘書の逮捕は、小沢政権阻止のための、議会政治に対する検察のクーデターです。異常な捜査、マスメディアを使った集団的狂気現象がセットにされています。戦前の「帝人事件」と同じ手法(世論形成)が採られており危うさを感じさせます。 「検察の健全性がないと国家・社会の健全性は保たれない」というのが著者の信念です。 「西松問題では、最初から検察に正義も公正さもなかった。国民が特定の政党や政治家を選ばないよう、検察権で妨害した。」つまり、この逮捕劇は「議会政治に対する検察のクーデター」であったのです。 「検察ファッショ」平成元年4月、高辻正巳法務大臣の定義 「特定の政治目的のために検察権が乱用されたとき、検察ファッショという。たとえば、検察当局が何らかの目的で検察情報をマスコミに漏らすこと、それでもって、犯罪事実があったような世論を作る。秘密厳守の義務違反となり、指揮権発動を促すことにもなり、検察ファッショといえる」 2.小沢一郎の一貫した政治姿勢と「政治改革」 昭和44年、小沢は父佐重喜の跡を継いで衆院初当選を果たしますが、そのときの公約が「官僚政治の打破」であったというのは驚きです。 (選挙制度と政治資金制度の整備は、父佐重喜の政治課題であったのです。) 「政治制度改革」は小沢一郎の政治生活を貫く路線となり、平成6年(1994)政治改革4法(衆院小選挙区比例代表制、政党助成法、政治資金規正法改正)へと突き進みます。これは、小沢が政治生命をかけ、非自民連立政権でなしとげたものなのです。 佐川急便事件を契機とした竹下派の分裂、自民党からの離脱、新進党、自自公連立と自由党の連立離脱、民主党への合流の過程は、まさに「政治改革」をめざす流れでした。 3.造られた小沢イメージ 明治以来のわが国に根強く残る「官僚主権政治」は、敗戦後も「自社体制」として受け継がれていきます。そして真の「議会政治」実現をめざす動きは、ときに検察を使った官僚権力によって挫折を繰り返します。 一貫して「政治改革」のために行動する小沢一郎に対して、マスコミは徹底して「反小沢キャンペーン」を展開してきました。 その中で、「剛腕、傲慢、コワモテ」というイメージが作られてきました。 また、田中角栄-竹下-金丸の「系譜」上にあることから「金権」政治家であるかのような虚像がつくられています。 著者は、「小沢ほど政治資金に対して厳しい政治家はいない」と、小沢にまつわるエピソードを上げて反論します。 「もし、金権政治家なら、自民党を離れずに首相の座を目指したろう。」という説明がすべてをあらわしていると思います。 平成元年40歳代の若さで与党自民党の幹事長に就いて以来の20年間の政治史は、まさに小沢一郎という政治家の「総理や代表、党首の地位にこだわらない」生き方そのものの足跡でもあります。 4.「共生社会」の提唱 小沢一郎の政治理念「共生」は、鳩山由紀夫の唱える「友愛」とのコラボにより新政権のバックボーンとなりました。 それは、民主党の「国民生活が第一」というスローガンに具現化されています。 冷戦後の資本主義の変質と高度情報社会の到来が今日の社会の背景にあります。 過激な競争資本主義の規制が必要です。 そして、「日本型セーフティネットの構築」こそ国民のための景気回復策であることを理解しなければなりません。 5.所感 (1)政界再編は必至 現在の民主党は、さまざまな主張を持つグループの「寄合い世帯」であり、小沢のめざす「政治改革」を担うには明らかに力不足です。 例えば、検察ファッショを容認するグループや、資本原理主義者が民主党内に存在します。これでは政党の体をなしていないと言わざるをえません。 夏の参議院選挙で、政治改革を担う新しい政権与党が生まれることを期待します。 (2)議会政治の基本 「有権者を代表することだけではない。有権者を説得し教育するという両輪で機能する。」という著者の指摘に共感しました。 政党は国民の前に「理念」を明らかにし、その実現に向かって結束して行動する戦闘集団でなければならないというのは、かねてのワタシの持論ですが、その思いを改めて確認した次第です。 (3)民主主義について考える 議会政治がきちんと機能するための前提として、著者のあげるように ・検察の健全性が保障されなければならない ・マスコミが本来の「報道機関」の使命を果たさなければならない ということが大切です。 そして、議会制つまり代表民主主義を補完するものとして「直接民主主義」的要素の導入が必要でしょうね。つまり、国民投票とか選挙をもっと活用すべきと考えます。 要するに、国民の意思が政治にきちんと反映されることが必要です。そして国民の意思とは必ずしも「多数決による意志」ではない。先進的な層の意志ではないかとも考えています。 (このあたりは、もう少し考える必要がありそうです。) それでは、また明日。。。
<書評>・・・過去記事より・・・ 『「特捜」崩壊』(石塚健司) 『共生経済が始まる』(内橋克人) 『米金融危機が中国を変革する』(真家陽一) 『チャイナ・アズ・ナンバーワン』(関志雄) 『株の損は株で取り戻せ』(若井 武) 『行動ファイナンス理論』(真壁昭夫) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.03.07 20:34:18
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