表音文字
うちの子供たちが小学一年生のときには、日本で暮らしていたので、毎日、絵日記を書いて学校に持っていき、先生にコメントを書いていただくのを楽しみにしていたものだった。もちろん、字も文章も拙かったけれども、それでも、その日のことを、自分の言葉で文字にすることができたし、親としては恥ずかしいことまで書いてしまったりして、けっこう、意味は通じる日記になっていたと思う。ところが、同じ小学一年生でも、英語で暮らしている孫には、あんな日記を書けるとはとても思えない。書ける単語はずいぶん増えてきてはいるが、話し言葉で使っているだけの単語数にはとても及ばないからだ。「英語は読み書きはできるけれども、話せない」という日本人の大人とは反対で、達者にしゃべりはするけれども、読み書きはかなり遅い。ある時期には、ちょっと知能が低いのではないかと、ひそかに気にしていたのだが、これがひらがなとかカタカナのような表音文字を持つ言葉を使っているかどうかの差かもしれないと、最近では思っている。たとえば、日本語の場合、ひらがなを50個覚えさえすれば、思っていることをとりあえず、話し言葉の文字にすることができる。ひらがなばかりの文章は読みにくいとはいえ、文字に書いて伝えることができると出来ないでは大違いだ。そう考えてくると、スペイン語圏やイタリア語圏の子供たちは、英語圏の子供よりも、文章を文字にする力は、幼いうちに身に着くような気がするし、同じラテン系言語でも、フランス語圏の子供たちは、すこし、手間取ったりするのかもしれないと思えてくる。中国語のように、漢字をたくさん覚えないと文章にならない言語の場合、最初はたいへんな苦労だろうなあ・・・。話せるけれども書けないという人がかなりいるのも、そのあたりに原因の一つがあるとすれば、簡字体もあながちせめることができないように思う。