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カテゴリ:日常
H.Mと話をしていた。
H.M.は版画家の山本容子さんとけっこうながいつきあいとのことで、 このまえ、一緒に銀座で寿司を食べた、というのだったが、 どうもすこし話がくいちがう。 こちとら、山本さんと多少接点があったのは90年代で、 柳瀬尚紀さん訳による 『フィネガンズ・ウェイク』出版記念パーティが最初だったとおもうから、 91年とかだったろう。 山本さんの作品は見掛けるけれど、 本人についてはあまり知らずにいたのだったが、 話のくいちがいは、一緒にいる男性についてで、 『フィネガン』のころの記憶で、 高名な美術批評家と変わらずに暮らしているのだと おもいこんでいたのだったが、 「もうずいぶんまえのこと」、とH.M.は言うのであった。 新しい恋を得た喜びもある。 しかし、何より、わたしが知りたくても知ることができなかったことを さっと取り出し、まったく不安なしに、 どこへでも連れて行ってくれ人と一緒に居られることは、 それまで生きてきた中で感じたことのない幸福だった。 美術版『プリティ・ウーマン』のようなものだ。 中原さんに付いてゆくと、たとえば、目の前に本物のクリストがいたりする。 京都だけの山本容子から、世界がいっぺんに広がった。 わたしたちは、本格的に恋に落ちた。 中原さんは五十二歳、わたしは三十一歳、 ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロと同じ年の差だった。(p.128-129) 気になったので山本さんの『マイ・ストーリー』(新潮文庫)を読む。 なるほど、読んでいると、本文のなかで一緒に暮らしているひとが3人、 2004年に書かれた「ながいながいあとがき」では4人目の方へとうつっている。 わたしが知っていた「時代」は、ずっと、 たしかに「まえのこと」へとずれこんでしまっているのだった。 はて、わたしは、30代になって間もないころ、 中原祐介と山本容子のカップルをみて、どうおもっていたのだったか。 そして、いま、この本を読み、ときのうつりゆきを知ったうえで、 何をおもっているのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年10月31日 14時49分32秒
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