テーマ:意外な戦記を語る(748)
カテゴリ:海軍空挺作戦
(ウツボ)セレベス島メナドに降下した堀内部隊はセレベス島ミナハサ地方のロンボーケン、トンパソなどの掃蕩戦を行なって多数の捕虜を得た。
(カモメ)昭和17年4月下旬セレベス島から転進、小スンダ列島の作戦に参加して、5月、全列島のロンボク、スンバ、スンバワ、フロレスの各島に上陸し占領しましたね。 (ウツボ)そうだね。チモール島クーパンに降下した福見部隊はチモール島周辺の作戦に参加し5月、バンダ海の北方のアンボイナ島に転進、ケイ、アル、タニンバル各諸島に上陸し、占領した。 (カモメ)昭和17年末、両部隊は内地に帰還して、整備、訓練の上、本来の任務に従事するため再編することとなりました。 (ウツボ)福見部隊長は、日華事変、上海戦以来、今回の南方作戦に至るまでの過労と現地での医療設備不備のため、海軍病院で戦病死したんだ。 (カモメ)せっかく内地に帰れたのに。さぞ残念だったでしょうね。一方、堀内部隊長は昭和18年1月15日、台湾東港海軍予備学生教育主任・高砂族教育主任となって台湾に赴任しました。 (ウツボ)そのあとを受けて、部隊長として唐島辰男少佐(海兵六十五期)が着任した。 (カモメ)昭和18年3月両部隊を合併して、新たに落下傘部隊を編成し、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊となりました。 (ウツボ)そうだね。部隊約千五百名が神奈川県久里浜の仮兵舎に勢ぞろいした。降下訓練は千葉県木更津海軍航空基地で行なった。 (カモメ)以前の訓練時には事故が続出しましたが従来の一式落下傘に改良が加えられて、内嚢式の一式落下傘特型が藤倉航空工業会社で開発され装備されたのです。 (ウツボ)そうだね。だからこの一式落下傘特型では不開傘事故による犠牲者は一名も出なかった。 (カモメ)また、同じ部隊でも、落下傘兵とそうでない者の精神的な対立がありましたが、今後は主計隊、医務隊、運輸隊、工作隊も全員降下させることになったのです。 (ウツボ)さらに、兵器も折りたたみ式のものが支給された。小銃は薬室のところで、はめ込み式になっていて、これを二つに容易に分離し、またはめ込むことができる。 (カモメ)軽機関銃も、銃架の部分が二つに折りたためるようになって、銃身と銃架を分離すれば、小さく二つに分けられるようになったものですね。 (ウツボ)そう。これらの兵器は降下するときに身につけることができたんだね。 (カモメ)今までは小銃などの長いものは落下傘が開くときに紐がからまって事故につながるから別梱包で降下させていたのですから、今度は安心です。 (ウツボ)昭和18年9月、落下傘部隊は唐島部隊長の指揮下九百名がマリアナ群島のサイパン島に進出した。 (カモメ)南方では死闘を繰り返す激戦が続いたのですが、サイパン島では毎日のどかで平和な日が続いたということです。 (ウツボ)サイパン島の中心地ガラパンには南洋支庁、南洋興発の社宅、邦人の住宅、商店、飲食店などがならび、まるで内地の町の風景のようだった。 (カモメ)落下傘部隊の隊員たちはこの町で楽しく過ごし、町の邦人たちとも交流を続けました。 (ウツボ)当時南雲忠一中将を長官とする中部太平洋方面艦隊司令部の話では、サイパンには敵は来ないという見方をしていた。 (カモメ)そうですね。連合艦隊司令部も、北上中の米軍は次はラバウル、トラック島に矛先を向けるだろうと判断していた訳です。 (ウツボ)だからサイパンに送られてきた大砲や対空砲はトラックやラバウルに運び去られた。 (カモメ)サイパンの重砲の守りは皆無に近いものとなったのですね。 (ウツボ)「海軍落下傘部隊」(朝日ソノラマ)の著者、山辺雅雄氏は当時二十六歳の大尉で、唐島部隊の第一中隊長だった。 (カモメ)昭和18年の暮れ、戦局は緊迫しているのに、落下傘部隊には作戦命令がいつまでも出されなかったのです。 (ウツボ)そこで山辺大尉が部隊を代表して、「早く戦わせてくれ」と東京の海軍軍令部に飛行機で派遣されたんだ。 (カモメ)山辺大尉は東京の軍令部に着き陳情すると「当分の間お前の隊は作戦に使う当てが無い」と素っ気無い返事だったのです。 (ウツボ)がっかりした山辺大尉は、それでも水交社に数日泊り込んで、軍令部に毎日交渉に出かけた。 (カモメ)軍令部は「飛行機が無いので降下部隊を使うことが出来ない。また今の戦局では降下作戦も当てが無い」と内情を話したのですね。 (ウツボ)山辺大尉は「この大事な戦局で敵の来ない平和な島に千人もの精鋭を遊ばせておくのは全くもったいないことです。一体何のために落下傘部隊を作ったんです。いっそのこと部隊を解散したらどうです」とねばった。 (カモメ)すると軍令部は「まあ、まあ、そうあわてるな。部隊というものはそう簡単に作ったり、解散したりできない。天皇陛下の裁可がが要るのだ」と反論しました。 (ウツボ)第二次世界大戦中に英国にはレンジャーおよびコマンド部隊という少数精鋭の奇襲部隊があった。 (カモメ)だから、結局、この英国の部隊のような奇襲部隊を落下傘部隊から引き抜いて編成しようという話になった。 (ウツボ)そう。具体的には、潜水艦で輸送し敵地に上陸して敵をかく乱する潜水艦奇襲部隊となったんだね、海軍落下傘部隊は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.29 20:46:19
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