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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2010.06.04
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カテゴリ:ソロモン海戦
(カモメ)戦後の西田大佐は、昭和二十五年、郷土の製麺工場の工場長に就任、二十年勤めて昭和四十三年に退職しました。

(ウツボ)昭和四十八年四月、靖国神社で慰霊祭が行われ西田艦長も出席した。そのとき、西田艦長の部下で、戦艦比叡の信号長だった坂本松三郎大尉が西田艦長に面会し、水交社の機関誌「水交」に発表する原稿を見せて、「艦長のご了解を得たいと思いまして」と言った。

(カモメ)その原稿のタイトルに西田艦長は目を落としました。それは「比叡艦長を軍神の座からひきずりおろしたのは私だ! 元比叡信号長兼掌航海長海軍大尉・坂本松三郎」というものだったのです。

(ウツボ)坂本大尉は、戦艦比叡が自沈する時、西田艦長を抱きかかえて比叡から強制的に退艦させた士官の一人だったね。

(カモメ)そうですね。西田艦長は「坂本君、この原稿を私にくださらんか」と言ったのです。坂本大尉は「はあ、でも、それをどうなさるおつもりで」と答えました。坂本大尉は意味が分からなかったのです。

(ウツボ)すると西田艦長は「くださいますな」と念を押した。坂本大尉が「艦長が必要とおっしゃるなら、差し上げますが」と言うと、西田艦長は次の様に、しんみりと言った。

(カモメ)読んでみます。「君の気持ちは嬉しいと思う。しかし、今これを発表したところで、何の意味もないのだ。艦と運命を共にすることのできなかったという事実は、どのように贅言(ぜいげん)を費やそうと消えはしないのだ。西田は卑怯者であった、それでもいいではないか。帝国海軍はすでに滅んでしまったのだから。そして、西田正雄という男もだ」

(ウツボ)そして、西田艦長は坂本大尉の目の前で、その原稿をビリビリと引き裂いた。坂本大尉はあっけにとられて、呆然と引き裂く西田艦長の手元を見つめていた。

(カモメ)そして西田艦長は引き裂いた原稿を手で丸めると、かたわらの、くずかごにポイと放り込んだのです。

(ウツボ)西田艦長は静かに微笑みかけて、「なあ、坂本君、もう、全ては終わったのだ。いまさらわしの生き方は、変えることはできんのだ。頼むから、これ以上、わしのことは心配せんでくれたまえ」と言い残すと、坂本大尉に背を向けて歩み去って行った。

(カモメ)西田艦長の長男は航空自衛隊のパイロットになり、次男は東大を卒業しました。娘は嫁いで、西田は一人暮らしだったのですが、晩年は長男や次男の家に同居しました。昭和四十九年三月十九日、死去。七十九歳でした。

(ウツボ)西田艦長の話はこれくらいにしよう。この第三次ソロモン海戦の一次戦で、日本艦隊は戦艦比叡と駆逐艦夕立、暁が沈没した。アメリカ艦隊は軽巡洋艦二隻、駆逐艦四隻が撃沈された。

(カモメ)数の上では日本艦隊の勝利ですが、戦艦比叡を失ったのは大きな痛手でしたね。

(ウツボ)そうだね。第三次ソロモン海戦の第二ラウンド(二次戦)の話に移ろう。十一月十三日午前九時五十五分、第二艦隊司令長官・近藤信竹中将(海兵三五首席・海大一七)は、連合艦隊から「外南洋部隊および霧島をふくむ前進部隊の兵力をもって、ルンガ方面の残敵掃討およびガダルカナル島飛行場射撃を実施すべし」との命令を受けた。

(カモメ)これが第三次ソロモン海戦二次戦の始まりですね。そこで近藤中将は戦艦霧島を呼び戻し、近藤中将の坐乗する重巡洋艦愛宕をガダルカナル島砲撃隊の一番艦にして、敵地深く進入する決心を固めたのです。

(ウツボ)十一月十四日午前八時三十分、近藤中将は隷下部隊に兵力部署命令を発し、近藤部隊は南下を開始した。

(カモメ)日本側部隊の再度の接近を探知した、南太平洋部隊指揮官・ウィリアム・ハルゼー中将から、その阻止を命じられたウィリアム・リー少将指揮の戦艦ワシントン、戦艦サウスダコタ、駆逐艦四隻からなるアメリカ艦隊がガダルカナル島南方で待機していたのです。

(ウツボ)十一月十四日午後八時五十分、戦艦ワシントンのレーダーが目標を探知し、午後九時十三分、日本艦隊を視認した。

(カモメ)午後九時十七分、ワシントンとサウスダコタの四〇センチ主砲が火を吹きました。サヴォ島東側洋上の日本の前衛の駆逐艦群、川内、浦波、敷波の三隻は煙幕を張り、次の砲雷戦に備えて、北方に一時避退しました。

(ウツボ)単艦で、サヴォ島西側から南下していた駆逐艦綾波は、午後九時二十分、こちらに向けて進んでくるアメリカ艦隊を視認し、勇敢にも単艦で砲雷戦を挑んだ。

(カモメ)綾波は、奮戦して、「敵重巡洋艦一、駆逐艦一隻撃沈」と報じました。だが、綾波も敵の集中砲火を浴び、航行不能に陥ったのです。

(ウツボ)午後九時三十分、第十戦隊司令官・木村進少将(海兵四〇)射撃隊の軽巡長良、駆逐艦五月雨、雷、白雲、初雪はサヴォ島南で敵を発見して砲戦を開始した。

(カモメ)午後九時五十九分、射撃隊の重巡愛宕、高雄、戦艦霧島、駆逐艦朝雲、照月も交戦状態になり、アメリカ艦隊の戦艦や駆逐艦などと砲撃と雷撃戦になりました。

(ウツボ)これが太平洋戦争を通じて、日本の戦艦十二隻のうち、霧島が、戦艦同士が直接撃ちあった最初で最後となった。







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最終更新日  2015.08.09 22:41:21


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